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<< 小書院−→次の間−→長囲炉裏の間−→足軽目付−→土間−→徒目付−→吟味奉行 >> ● 小書院に向かいます。 * (左画像/天守閣) ● 小書院 城主が政務を離れてくつろいだ私的な部屋です。 (1) 唐金獅子(からかねしし) 江戸時代 太田松子氏寄贈 (2) 葉茶壺 (瀬戸祖母懐土製) 江戸時代 太田松子氏寄贈 * (左/1)・・・(右/2) ● 次の間 城主や奥方の世話・護衛をする役人が控えていた部屋です。 ● 長囲炉裏の間 城主あるいはその奥方が使用した部屋です。 天上中央には太田侯の家紋である桔梗と替紋の違いかぶら矢が彫られています。 ● 廊下突き当たりには、掛川城模型は梵天が展示されています。 * (掛川城模型/縮尺:約600分の1 安土桃山(山内一豊)時代 制作者:島田市 西谷利正氏) *梵天(幣束) 安政の大地震で倒潰した御殿は安政2年12月15日再建されました。 その上棟式に用いられたものの一本で梵天といわれ当時の大工伝蔵という人が城主より下附 されたものです。 棟札にもその名が書かれています。 寄贈者 掛川市家代 大工伝蔵氏の曾孫 山崎芳雄氏 ● 廊下を右折すると右側に「長囲炉裏の間から小書院」が見渡せます。 ● 足軽目付 足軽は江戸時代、最下級におかれた武士であり、戦に際しては第一線に出動しました。 その足軽を監督した足軽目付の部屋です。 ● 土間 掛川城御殿式台玄関礎石(江戸時代の工法を知る!) 掛川城御殿は安政地震(1854)で倒壊した後、安政2年(1855)から文久元年(1861)にかけて再 建されました。 全国で4例しか残っていない御殿建築の1つで、国の重要文化財に指定されている大変貴重な 建物です。 今回の修復工事では、濡縁や漆喰の壁の修理、ヒビ割れていた玄関の礎石の取替えを行いま した。 礎石は2つに分かれおり、鉄の芯でつながれていました。 地震に強くするための工夫と考えられますが、結果として鉄の芯が錆びて膨らみ礎石が割れて しまったようです。 * (現地で確認した式台玄関礎石)・・・(現在の式台玄関礎石) * (長持/石川進氏寄贈)・・・(車長持/木村辰男氏寄贈) 右側には中庭が見えます。 * (右画像/長囲炉裏の間) ● 徒目付(かちめつけ) 徒(かち/徒士)というのは江戸時代の下級武士の一つであり、それを監督した徒目付が使用した部屋 ● 吟味奉行 藩内の訴訟や事件あるいは経理関係の吟味をした吟味奉行の部屋です。 (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |