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● 石川門 金沢城の搦手門(からめてもん/裏門)として重要な位置にあり、河北門、橋爪門とともに金沢城の 「三御門」と呼ばれました。 三の丸東端に位置し、石川郡に向いていることから石川門と呼ばれました。 2層の菱櫓と複数の門が組み合わされた枡形と呼ばれる複雑な構造で、敵が進入したときに勢い を鈍らせる目的で設けられたものです。 宝暦の大火(1759)の後、天明8年(1788)に再建。 屋根瓦には鉛を使用し、溶かして鉄砲弾に作り変えるための工夫だったとも言われています。 昭和25年(1950)国の重要文化財に指定。 * (石川門口) * (石川門) ● 石川門を入ると、「総合案内所/休憩所」があります。 * (総合案内所/休憩所) ● 河北門 金沢城の大手から入り、河北坂を上がったところに位置する「三の丸の正面」であり、金沢城の実 質的な正門です。 金沢城の建物の大半が焼失した宝暦の大火(1759年)の後、三御門の中で最初に安永元年(17 72)に再建された重要な門で、明治15年頃に無くなるまで実質的な正門としての役割を果たして いました。 平成19年11月に着工し、平成22年4月まで約2年半の歳月をかけて約130年ぶりに甦りました。 河北門・二の門・・開館時間/9:00〜16:30 入館料/無料 * (河北門)・・・(三の丸北園地) * (入口) * 内部 沢山のパネルや模型が飾られています。 (1)河北門の歴史・史実にもとづく復元 (2)海鼠壁・県民参加による城づくり・鉛瓦葺き・河北門の屋根装飾 (3)河北門・ニの門 断面図 (梁行) (4)左官工程について・外壁漆喰仕上げについて (5)石垣(切り込み接ぎ)の施行について (6)模型(石垣/戸室石 千切り/鉛) (7)模型(外壁) (8)模型(内壁) (内部)・・・(天井) (1)・・・(2)・・・(3) (4)・・・(5)・・・(6) (7)・・・(8) * 脇柱の礎石 門の復元にあたっては発掘調査で確認した門礎の遺構と絵図面から、柱の位置や寸法を復 元しました。 二の門南側の脇柱は、青戸室石製の礎石が当時のままの状態で発掘され上面には柱を巻 いた金物の鉄サビも残っていました。 復元では建物荷重と地盤強度を慎重に検討したうえで、この礎石を再利用しています。 * 河北門の石垣 河北門の石垣は、多角形に加工した石材を隙間なく積み上げた切石積みの石垣です。 城門や御殿向き、庭園など、特別な場所の石垣に切石積みの技法を多用することは、金沢 城の特色といえます。 石垣の多くは明治期に撤去されていましたが、発掘遺構や写真、同時期に造られた石川門 の石垣等を参考に、当時の石積み技法をできるだけ忠実に再現しました。 (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |