(3)レンガ造りのトンネル〜鉄門

                           


             <<レンガ造りトンネル−→戌亥櫓石垣−→三十間長屋−→鉄門>>


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   ● レンガ造りのトンネル
        明治から昭和にかけて金沢城は兵部省(後の陸軍省)の所轄となり北陸の軍事拠点となりました
        このトンネルは、当時の陸軍によって弾薬庫が建設された際に作られたものです。

                  


   ● 戌亥櫓石垣(いぬいやぐらいしがき)
        この石垣は「打ち込みハギ」の積み方をしていますが、石の隙間に平らな石をはめ込み、「切り込
        みハギ」のように見せる技法が用いられています。
        長い年月の間に石が抜け落ちていますが、当時の巧みな技術を見ることができます。
        はめ込まれた石が残っている所と抜け落ちた所を比較しながら、当時の姿を想像してみてください
         創建 寛永8年(1631)頃
         改修 寛文(1661〜1672)頃、明和3年(1766)
         現状 北面(左側)は創建時、西面(正面)の大部分は寛文頃の改修時、一部明和3年改修時の
               姿を残す。

                          


   ● 三十間長屋石垣
        この石垣の積み方は「切り込みハギ」の技法で積まれていますが、表面の縁取りだけをきれにそ
        ろえ、内側を粗いままにしておく「金場取り残し積み」という技法が用いられています。
        緻密な細工をしながらも、わざとあらあらしく見えるように工夫されており
        当時の文書でも、「いきおいのある積み方」と表現されています。
           創建 寛永8年(1631)頃
           改修 宝暦(1751〜1763)頃等
           現状 主に宝暦頃の改修時の姿を残す。

                          


   ● 三十間長屋
        宝暦の大火(1759)の後、長く再建されず、安政5年(1858)に再建された長屋。
        本来は食器類を納めた倉庫でしたが、江戸時代後期には武器・弾薬を納めたといわれています。
        昭和32年(1957)国の重要文化財に指定。

                  


   ● 鉄門石垣
        「切り込みハギ」の技法は、城の重要な部分に用いられています。
        本丸への入口となるここ鉄門の石垣にも「切り込みハギ」が見られます。
        石の表面を多角形に加工したすぐれたデザインで、丁寧なつくりになっています。
        宝暦の大火(1759)で、金沢城は大きな被害を受けましたが、続く明和・安永年間に、復興に向け
        てさかんに石垣の改修が行われました。
           創建 寛永8年(1631)頃
           改修 明和3年(1766)     現状 明和3年改修時の姿を残す。

                          


   ● 鉄門
        創建は明らかでないが、寛永の大火(1631)以降、二の丸から本丸に入る正門となりました。
        鉄板を貼った扉がつけられていたことからこの名前が付いたといわれています。
        渡し櫓が乗った重厚な門で、本丸の防御にあたっていました。

                          

 
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                               ● (入口へ) ●●

 

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