<<菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓 2>> (画像をクリックすると、大きくなります) |
● 復元建造物 菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓の復元 菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓は、寛永9年(1632年)に建設されて以来、宝暦9年(1759年)文 化5年(1808年)、明治14年(1881年)と三度の火災に遭い、120年ぶりの再建となりました。 古図や古写真など資料が豊富に残っていること、現存する石川門(1788年築)との時代的な整 合性などから、文化6年再建時の姿に可能な限り忠実に復元しました。 伝統的な木造軸組工法を基本としながらも、建築基準法によってコンクリートの基礎や一部の 柱寸法を太くする、1階天井と2階床の間に耐火ボードを挟み込む、スプリンクラーを設置するな どのことを行っています。 使用された木材は約5,330石で、一般的な住宅で40〜50戸分に相当します。 柱と大きな軸組材(桧や米ヒバ等)を除いた71%は県内の能登ヒバや杉材を使用しました。 建築にあたっては、大工、左官、板金など、延べ5万人を超える県内の職人さんが活躍しました 熟練工から若い人までが力を合わせたことで、伝統技術の継承にいに役立ちました。 菱櫓等の復元に先立ち、櫓台石垣の修築を行いました。 菱櫓等を支えていた石垣は、高さ11.7mあります。 長い年月と度重なる火災を経て、緩みや孕み、割れなどが随所にあり、天端石も約30cmの高 低差が生じていました。 今回、石垣として不都合な部分約1,200u、石の総数3,766個を取り外し再使用した石3,108個 新石658個で積み直しを行いました。 既存石を出来るだけ多く再利用するための工夫として、天端石の直下に高さ調整石を挟み、石 垣頂部を水平にしました。 石の取り外しを行った際、切り石積みの石垣の隙間には鉄の敷金や鎹が用いられていました。 (寛文期・文化期の修理)石垣の勾配調整や滑り止めの機能を果たしたと考えられます。 今回の復元でも一部新補材と交換しながらこの技法を踏襲しました。 ● 二階へ * (窓から) ● 復元工事のあらまし 復元されたもの 菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓、石垣、内堀、橋爪橋、橋爪門、土塀 工事期間:平成10年3月〜13年7月(3年4ヶ月) 総工事費:約46億円 面積:建物延べ床面積:約1,900u 明治14年以来約120年ぶりの復元で、明治時代以降の最大級の木造城郭建物です。 延べ53,000人を超える地元職人が活躍しました。 復元方法 日本古来の木造軸組工法で復元しました。 江戸時代の絵図、明治時代初期の写真をもとに、史実を尊重して復元しました。 ● 金沢城再現模型 金沢城は宝暦9年(1759)の火災をはさんで大きく姿を変えます。 金沢城の最盛期はこの火災の直前と考えられ、火災後はあ実用的な部分のみが再建され、櫓の ほとんどは再建されませんでした。 この模型は、本丸の番所や二の丸御殿、新丸の越後屋敷など郭内の建物については、文政〜天 保期(1820〜30年代)の全体図から復元し、城郭外周にあたる門や塀、櫓については文化5年(18 08)からの再建事業のプランとして検討された「起こし絵図」の記載をもとに最盛期の姿を再現した ものです。 ● 菱櫓と五十間長屋の軸組模型 模型は実物の1/10で制作されています。 櫓の復元にあたり、施工に携わる大工が柱や梁の組合わせと施工手順を事前に把握するために、 作られたものです。 寄贈・・金沢市小立野 嶺村輝久 珠洲市宝立町 助政一丸 (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |