(3)魚河岸水神社→江戸神社

                     


        (13)魚河岸水神社・・(14)小舟町八雲神社・小舟町八雲神社鉄製天水桶

        (15)大伝馬町八雲神社・大伝馬町八雲神社鉄製天水桶・・(35)角田竹冷の句碑・力石

        (16)江戸神社


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   ● 境内末社めぐり
        七つの石鳥居をくぐり お参りできる
           籠祖神社  末廣稲荷神社  金刀比羅神社  三宿稲荷神社  浦安稲荷神社
           旧神田市場/千貫神輿  太田市場/江戸神社  大伝馬町/八雲神社
           小舟町/八雲神社  築地魚河岸/水神社
        社日参り
           春秋の彼岸の中日に一番近い戊(つちのえ)の日のお参り。
           この日神社に詣でて、五穀豊穣・身体健康を祈る信仰がある。
           この時石の鳥居を七つくぐってお参りすると、中風・ぼけ封じにもなるという古くからの信仰と
           慣習がある。
           都内では、七つの石鳥居が揃った神社は、なかなか見当たらずこの日には、多くの参詣が
           ある。
            毎、戊の日のお参りには、古例にならい家清めの「お砂」を授与致しております。

   ● 魚河岸水神社
        御祭神 弥都波能売命(みつはのめのみこと)
        祭礼日 5月5日
          日本橋魚河岸水神社は、徳川家の武運長久と併せて大漁安全を祈願する為、魚河岸の先人
          により武蔵国豊嶋群柴崎村神田神社
          境内(今の千代田区大手町)に鎮座された。
          元和年間(1615〜)神田神社と共に此の地に遷り、大市場交易神と称されその後、水神社と改
          称し更に明治24年(1891)魚河岸水神社と社名を変更し、日本橋魚市場の守護神として崇敬さ
          れている。
          なお、日本橋より築地に移った築地中央卸売市場内には、当社の遙拝所が建てられ、市場に
          関わる人々の篤い信仰により支えられている。
          当神社の崇敬体「魚河岸会」の所有する加茂能人形山車は、江戸城内に参内し徳川歴代将
          軍の上覧に浴し、再三褒賞を賜った江戸の代表的山車であったが惜しくも関東大震災により
          烏有に帰した。
          その後、昭和30年江戸文化の一端を永く後世に遺す為、文久2年(1862)当時そのままの山
          車を再現した。
          隔年の行われる神田祭には、その絢爛豪華な山車の全容を拝観することができる。

    * (境内末社めぐり)・・・(魚河岸水神社)

                          


                  

  
                  


                


   ● 小舟町八雲神社(三天王 三の宮)
        御祭神  建速須佐之男命(ハケハヤスサノウノミコト)
        祭礼日  6月6日
          この神社は江戸城内吹上御苑より神田神社と共にこの地に遷座された。
          小舟町「貞亨年間(1684〜)までは小伝馬町」お仮屋を有し神輿が渡御されたことから小舟町の
          天王と称された。
          明治以前は公命により、江戸全町域の疫病退散の為、江戸城内・北奉行・日本橋々上に神輿
          を奉安し祈祷が行われた。
          東都歳時記によれば、当時の天王祭は1丁目にお仮屋ができ大提灯・大注連縄が 張られ、2
          丁目には7、8間の絹張りの神門が造られその左右に随神が置かれ長さ 5丈の杉の木を植え
          込み、鰹節の樽積みが高々と重ねられた。
          3丁目には須佐之男命と稲田姫の造り物、八岐大蛇の行灯、天王祭の大幟(おおのぼり)をたて
          神輿の神幸を待った。
          神輿は6月10日に明神境内を発輿して氏子180か町を巡り還輿するのは13日か14日その間の
          里程は十三里に及んだといわれる。このことがら十三里天王ともいわれた。
          近年では、八雲祭と改められ小舟町街中に壮大なお仮屋がたてられ、華麗にして勇壮な大神
          輿の神幸祭が不定期に斎行されている。
       小舟町八雲神社鉄製天水桶 一対 (千代田区指定有形民族文化財  平成17年4月1日指定)
          この天水桶は、地上からの高さが1.4メートルほどになる一対のものです。
          なお、四角形の基壇と台座は石製です。
          銘文によれば、天水桶の奉納者と鋳造者は次のとおりです。
          奉納したのは、江戸の魚問屋仲間に属する商人、遠州屋新兵衛他十名で、文化8年(1811)6月
          に奉納しています。
          魚問屋仲間とは、塩干肴や乾物などの流通を担った商人のことで、日本橋にあった魚市場の界
          隈に軒を並べていました。
          小舟町八雲神社は、最初、日本橋にあった伝馬町の一つ小伝馬町が宮元となっていましたが、
          のち魚問屋仲間が祭礼費用を賄うなど神社の活動に関与していきました。
          その後は、彼らが集住していた小舟まちの人々により崇敬され、今日に至っています。
          鋳造したのは、江戸深川上大島町(江東区大島)の鋳物師太田近江大掾藤原正次(釜屋六右
          衛門、通称、釜六)です。
          釜屋六右衛門家は、11代続いた御用鋳物師の家系で、初代六右衛門は近江国栗太郡辻村
          (滋賀県栗東市辻)から寛永17年(1640)に出府しています。
          当初は芝に居を構えましたが、万治元年(1658)に大島村に転居しました。
          梵鐘・天水桶・茶釜・鍋・釜などを製造し、明治維新後に廃業しました。
           また、釜屋六右衛門家は、神田神社において、小舟町八雲神社の右隣の大伝馬町八雲神社
          天水桶(平成16年4月1日付で文化財指定)の作製しています。
          なお鳥居を入って左側の天水桶は、安政4年(1857)に再建されたもので、右側の銘文をもとに
          鋳造したものの、文字の輪郭が丸みを帯びるなど違いが生じています。
          この天水桶は、江戸時代以来の魚問屋仲間、そして小舟町の人々の神社に対する信仰を、私
          たちに教えてくれます。  平成17年12月     千代田区教育委員会

                  


                


   ● 大伝馬町八雲神社(三天王 二の宮)
        御祭神  建速須佐之男命(ハケハヤスサノウノミコト)
        祭礼日  6月5日
          この神社は江戸時代以前に祀られていたと伝えられる。
          三 天王の二の宮の天王祭は、6月5日明神境内を発輿し、氏子中を神幸し大伝馬町の御仮屋
          へ渡御して8日に還輿していた。
          このことから大伝馬町天王と称されていた。
          この祭は元和元年(1615)頃より行われて、江戸時代には他の天王祭と共に大変な賑わいの一
          つであった。
          今日でも大伝馬町1丁目・本町3丁目東町会の有志諫鼓会(神田祭の一番山車大伝馬町諫鼓山
          車より命名)の人々の篤いご信仰がある
          尚、東京の風物詩「べったら市」も神田神社兼務社日本橋宝田恵比寿神社で諫鼓会の人々によ
          り祭礼伝統文化行事として継承されている。
       大伝馬町八雲神社鉄製天水桶 一対 (千代田区指定有形民族文化財  平成16年4月1日指定)
          この天水桶は、地上からの高さが1.4メートルほどになる一対のものです。
          八角形の基壇と四角形の台座は石製で、天水桶は鋳鉄製です。
          天水桶の口縁には「巴」が連続する紋様が見られ、また台座は蓮弁を模した形にするなど、装
          飾も施されています。
          銘文によれば、この天水桶は、江戸深川上大島町(江東区大島)在住の御鋳物師であ太田近江
          大椽藤原正次(おおたおうみのだいじょう 釜屋六右衛門、通称 釜六)が作成したもので、江戸
          の問屋仲間の一つの太物問屋(ふとものとんや)仲間が天保10年(1839)6月に奉納したものです
          太物問屋とは、反物などの流通を一手に扱う商人のことで、江戸でも日本橋界隈を中心に軒を
          並べていました。
          大伝馬町八雲神社は、江戸時代には祇園牛頭天王社(一の宮)と呼ばれ、当地に祀られていた
          地主神でした。
          その運営費用は、最初は、宮元である大伝馬町が伝馬入用から賄っていましたが、のちには太
          物問屋仲間賄うようになり、運営主体が代わっていきます。
          そのため、天水桶には、元々の宮元である大伝馬町の名とともに、当時の神社運営に携わって
          いた太物問屋仲間の名も見ることができます。
          江戸の問屋仲間と神社との関わりを、私たちに教えてくれます。
                  平成17年3月                 千代田区教育委員会

                          


                  


   ● 角田竹冷(つのだちくれい)の句碑
           白うおや はばかりながら 江戸の水
        安政3年(1856)5月に静岡県冨士郡加島村に誕生。
        職業は明治初期の「代言人」(今の弁護士)であったが、俳人として名を知られていた。
        明治28年10月、みずから発起人となり、尾崎紅葉・岡野知十・巌谷小波・川上眉山・戸川残花らの
        参加を得て秋声会を組織、翌年11月俳詩「秋の声」を創刊した。
        明治30年6月「卯杖」を出し、後に「木太刀」と改題主宰した。
        正岡子規の日本派とともに、俳句革新運動の一勢力をなした時もあった。
        晩年は古俳書の収集に熱中した。
        いま「竹冷文庫」をして東京大学図書館に保管されている。
        竹冷は大正8年(1919)3月20日66歳で没す。

                  


   ● 力石 (千代田区指定有形民俗文化財  指定 平成3年4月)
        「力石」とは、一定重量の大小の円形または楕円形の石で、村の鎮守、神社境内、会所や村境(今
        日の行政単位の村ではない)にあって、若者達が力試しに用いたと記録されている。
        古来、わが国民間信仰では石に係わる信仰は多い。
        石に神霊がこもる、あるいは石を依代としている神々も多い。
        また「力石」に於ける伝承の一つとして、「道切」説もあるが、「巨人伝説の大草鞋」同様と考えられ
        る。 しかしこれたは、石神等に関する伝承の変化であって、昔は、村々に疫病の侵入を防ぐため
        の神であり、呪い等であったようである。
           (疫病は道を伝って来ると信じられていた)
        境内にある「力石」の由来は詳らかではないが江戸・東京の若者達の生活と娯楽の一端を知るう
        えで貴重な資料である。
        本力石は、その銘文から文政5年(1822)12月に神田仲町2丁目の柴田四郎右衛門が持ち上げた
        ものとされる。   平成3年12月        千代田区教育委員会

                         


   ●  江戸神社(三天王 一の宮)
       御祭神  建速須佐之男命(ハケハヤスサノウノミコト)
       祭礼日  5月14日
         大寳2年(702)武蔵国豊嶋郡江戸の地(今の皇居の内)に創建された大江戸最古の地主の神であ
         ります。
         古くは江戸大明神あるいは江戸の天王と称された。
         鎌倉時代には、江戸氏の氏神として崇敬され、その後江戸氏が多摩郡喜多見村に移住の後、太
         田道灌築城してより、上杉氏・北条氏等引続き城地に祀ったが慶長8年(1603)江戸城の拡張によ
         り、神田神社と共に神田台に遷り、更に元和2年(1616)に当地に遷座された。
         江戸時代中期以後は牛頭天王と称され明治元年(1868)に須賀神社と改称、更に明治18年(1885)
         に江戸神社と復称された。
         この神社は、江戸開府の頃幕府の食を賄う菜市が開かれその後、貞亨年間(1684〜)に神田多町
         一帯に青物商が相集い市場の形態が整った。
         こうした発祥の頃から市場の守護神として崇敬されてきました。
         現社殿は平成元年神田市場が大田区東海の地に移転するにあたり江戸神社奉賛会の人々によ
         り、今上陛下御即位大礼の記念として、大神輿を御神座として再建鎮座された。
       ◎三天王祭・一の宮江戸神社の祭について
         慶長18年(1613)によち始まったと伝えられる神輿の神幸は6月7日の朝、明神の境内を発輿して
         南伝馬町2丁目に設けられた御仮屋に入り氏子の町々を渡御して14日還輿された。
         その神幸の様は実に勇壮厳粛な行列であったと伝えられる。
         現存する大神輿は、日本有数の華麗にして巨大な神輿で、通称「千貫神輿」として人々に親しま
         れ、神田祭に担がれる凡そ200基の神輿の象徴でもあります。

                          


                  



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                               ● (入口へ) ●

 

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