(5)合祀殿→国学発祥の碑

                     


       (22)千社札の碑・・(25)三の宮奉安庫・・(24)合祀殿・籠祖神社御・籠祖講関係石造物群

       (27)祖霊社・彰忠碑・・(28)阿部しょう人の句碑・・(29)国学発祥の碑・・(7)銭形平次碑


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  ● 千社札の碑 (平成12年に建立)
       200枚以上もの「千社札」が刻み込まれた碑で、平成12年に建立。
       千社札は、江戸時代中期より流行した「千社詣」からはじまったと言われています。
       参拝者が、自分の名前・屋号などを記した紙札を社寺に貼ることで御利益が得られるとされています
       はじめは手書きでしたが、その後、浮世絵の技術が発展し木版多色刷りの札がつくられるようになる
       と、デザイン性の高い彩り豊かな千社札が多く見られるようになりました。

                         


                                     


  ● 三の宮奉安庫(鳳輦庫)

                          


                  


  ● 合祀殿
       平成24年に旧・籠祖神社社地に建立。
       籠祖神社(猿田彦神、塩土老翁神)をはじめ、神田明神本殿に合祀されていた八幡神社(誉田別命)
       や富士神社(木花咲く耶姫命)、天神社(菅原道真命、柿本人麻呂命)、大鳥神社(日本武尊)、天祖
       神社(天照大御神)諏訪神社(建御名方神)を合祀しています。

  ● 籠祖神社御縁起
       御祭神 猿田彦大神   塩土翁神
         猿田彦大神は、天孫ににぎの尊降臨の時日向の高千穂の峰に御先導申し上げた神で、営業の
         方向や土地の方位等に霊験あらたかな神として崇められて居ります。
         塩土翁神は、竹工の神、塩の神、又船の神として古事記に、山幸彦(火遠理命)が兄海彦(火照
         命)がら借りた釣針を失いお困りの時無間勝間の小舟(すき間なく編んだ竹籠の舟)を作り与え海
         神の宮に渡り給えと教えられた神で器物を産み造る始祖として古くから崇め祀られて居ります。
         籠祖神社は、古く寛政7卯年5月亀井組(現小伝馬町)の籠職及び、つづら職の人々斯業の祖神
         として神田明神境内に鎮座されたのが始まりで、商売繁盛招福開運の御利益を願い、祖神講を
         設けて今日迄166年の間絶ゆる事なく毎年11月5日に盛大な御祭祝を致して居ります。
               昭和36年11月吉日            籠工商祖神講

  ● 籠祖講関係石造物群 九点  (千代田区指定有形民俗文化財 平成17年4月1日指定)
       籠祖神社は、寛政7年(1796)5月に鎮座したという社伝もち、塩土翁神と猿田彦大神を祭神とする神
       社です。
       現在もこの両神を職神として信仰する籠祖講の人々により、信仰されています。
       かつての亀井町(現在の千代田区岩本町1丁目と中央区小伝馬町にまたがる地域)には、神田の青
       物市場や日本橋の魚市場などで用いられる籠や笊などを作製する籠職人・葛籠職人たちが多く居
       住しており、彼らによって籠祖講は結成されました。
       境内には、嘉永3年(1850)から昭和36年(1961)に作製された9点の石造物(鳥居・水盤・記念碑・狛
       犬・常夜燈・玉垣・石標)があります。
       これらの石造物から、私たちは講の活動について知ることができます。
       鳥居及び記念碑からは、嘉永3年(1850)10月に亀井町の人々により奉納された鳥居が、昭和13年
       (1938)9月1日の大暴風雨で倒壊し部材が破損したため、講員一同が協力して笠木及び島木を新調
       して再建したことが判ります。
       また、戦時下の空襲で本殿と玉垣が被災したため、昭和27年(1951)11月に再建されましたが、その
       際に関わった講の人々の名を玉垣から読み取ることができます。
       一方、狛犬には、昭和34年(1961)11月の銘があり、再建から10年という節目の年の記念として講が
       奉納したということがうかがえます。
       区内には、かつて商工業や信仰にちなむ講が数多く存在しましたが、現在ではその活動を知ることは
       ほとんどできませんでした。
       籠祖講は現在も引き続き活動を続けており、毎年11月には例大祭を執行しています。
       これたの石造物は、江戸時代から現在に続く商職人の講活動を物語る、区内でも希少な文化財です
                      平成17年12月            千代田区教育委員会

                      


                             


                             


                              


  ● 祖霊社 (平成16年に創建)
       神田明神を尊崇なさった氏子・崇敬者の先祖をお祀りするお社。

                             


                  


                              


  ● 阿部しょう人(しょうじん)の句碑
       碑の表面にしょう人の俳句「山茶花の散るや己の影の中」が刻まれています。
       しょう人 (1900〜1968)は、俳句雑誌『好日』を主宰し俳句論をおこなった人物。
       その著『俳句―四合目からの出発』は、俳句の入門書として多くの俳句愛好者に読まれている。
                   昭和47年11月12日     好日俳句会により建立。

    * (阿部しょう人(しょうじん)の句碑 )・・・(彰忠碑)
 
                            


  ● 国学発祥の碑
       國學發祥之地      今 東光撰文
         荷田東丸は 京都伏見稲荷社家に生る 通称羽倉斎本名信盛なり 元禄十三年三代将軍家光
         五十年祭に勅使として 大炊御門前右大臣経光公中仏道経由日光及び江戸に下向の砌り随行
         して江戸に出で 享保七年まで在府せり その間各所に講説し歌会を催し且つ多くの門人を養へ
         り その講席は当社神主芝崎邸にて後に東丸養子在満及び高弟浜松の人岡部三四真渕もこの
         邸を借用せり 当時神主は芝崎宮内少輔好高 その男宮内大輔好寛その舎弟豊後守好全の三
         代約百年に亘れり 然も好全妻女は東丸の女直子なり されば芝崎神主は歴代自ら学ぶと共に
         能く師東丸のために尽瘁し学園の場を供して国学振興に寄与せり 師東丸は門弟を訓ふる頗る
         懇切なりき殊に元禄十五年門弟の宗偏流茶人中島五郎作宗吾等と密かに赤穂浪士のために計
         りて義挙を扶けしはその忠直の性を知るに足る この東丸出でて吾が国学は加茂真渕 本居宣
         長と伝統して 今日に至る 今その遺跡に記して後学の為に伝ふ

                  


  ● 銭形平次碑
       銭形の平次は野村胡堂の名作「銭形平次捕物控」の主人公である。
       平次の住居は、明神下の元の台所町ということになっている。
       此の碑は、昭和45年12月有志の作家と出版社とが発起人となり、縁りの明神下を見下ろす地に建
       立された。
       石造り寛永通宝の銭形の中央には平次の碑、その右側に八五郎、通称「がらっ八」の小さな碑が
       建てられた。
    銭形平次の作者 野村胡堂旧居地に飾られていた燈籠
       この燈籠は銭形平次の作者として有名な野村胡堂が昭和7年から14年まで居宅とした世田谷区砧
       8丁目・佐藤様宅に飾られていた燈籠である。

                      


    * (八五郎の碑)

                                 



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                               ● (入口へ) ●

 

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