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<< 開山堂(両大師堂)−→手水舎−→水槽−→井戸−→鐘楼−→御車返しの桜−→ −→寝釈迦石−→阿弥陀堂−→地蔵菩薩−→大賀ハス(古代蓮)−→幸田露伴旧宅の門 >> ● 開山堂(両大師堂) 東叡山の開山である慈眼大師(じげんだいし)天海大僧正をお祀りしているお堂です。 天海僧正が尊崇していた慈惠大師良源(じえだいしりょうげん)大僧正もお祀りしています。 そのため一般に両大師≠ニ呼ばれ、庶民に信仰されてきました。 初建は正保元年(1644)ですが、現在のお堂は平成五年に再建されたものです。 ● 手水舎 ● 水槽 ● 井戸 ● 鐘楼 ● 天皇陛下が車を戻した 御車返しの桜 上野の山に桜を植えたのは、当堂に祀られる慈眼大師天海大僧正です。 お寺に観光要素を取り入れるその行動は多くの協力者を得て、植樹を始めてから数十年ほどで上 野の山は江戸随一のお花見名所となりました。 江戸の末期に出版された観光案内書「江戸名所花暦」には、さまざまな桜が上野の山に咲き誇り、 彼岸桜のころから5月まで花が絶えることがない、と記されています。 この桜は、1本の木に一重と八重の淡紅色の花が同時に咲く、豪奢な雰囲気と何とも言えない優 雅さを兼ね備えた樹です。 開花時期はソメイヨシノよりやや遅く、4月3日の両大師縁日の頃から咲き始め、1週間前後が花盛 りです。 「御車返し/みくるまがえし」の名がついたのは江戸のはじめの頃です。 当時の後水尾天皇が京都の常照皇寺に花見に行かれた際に、その桜があまりに美しかったので、 帰り道に牛車を戻して再びご覧になったことから「御車返し」の名がつきました。 そののちに、後水尾天皇の皇子である守澄法親王が当山の山主に就任されました。 それがご縁となり、「御車返しの桜」が当山の境内に植えられたようです。 なお現在の御車返しの桜は、江戸時代以来三代目と伝えられています。 寛永寺教化部 *(画像・・多摩森林科学園 にて) ● 寝釈迦石 ● 阿弥陀堂 (南無虚空蔵菩薩 南無阿弥陀如来 南無地蔵大菩薩) ● 地蔵菩薩 ● 大賀ハス(古代蓮) この蓮の花は二千年以上前に地上に落ち長く泥中に眠っていた実が開花したものを株分けしました 大賀一郎博士の名を冠しオオガハスと名付けました その生命力と美しさは深い感動を受けます (右画像・・町田薬師池公園にて) ● 幸田露伴旧宅の門 この門は明治の文豪幸田露伴(1867〜1949)の旧宅の門で、谷中にあったものを移築したものである 瓦葺の簡素な腕木門で、柱や梁、垂木など総て丸太造りで、明治期のしもた屋(仕舞屋)の風情をよく とどめている。 露伴は下谷生まれで、代表作「五重塔」(1893)の主人公「のっそり十兵衛」は、現寛永寺根本中堂を 手がけた大工の棟梁をモデルにしたものだといわれている。 *(左/輪王殿方面から) (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |