(3)さざれ石→鹿園

                          


                            (鹿島神宮HPよりお借りしました)

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   境内案内
    奥宮(明治34年国宝指定現重要文化財) ここより300m
       本宮御祭神の荒魂(あらみたま/分け御魂のことで躍動する魂のこと)を奉祝する。
       社殿は慶長10年(西暦1605)に徳川家康公奉納の旧本殿を元和5年に引遷したもの。
    要石(別名を山の宮、御座石(みましいし)) ここより450m
       奥宮の後方150mの所にある石で、幾多の神秘的な伝説がある。
       特に地震を起す大鯰を押えているという説話により当地方は大地震にも被害が少ないという。
    御手洗(みたらし) ここより500m
       奥宮の前の坂を下ったところにある潔斎の池で古くはこの池のあたりが参道の起点であった。
       池の水温は一定して夏は冷たく冬は温かく感じられる。
    鹿園(ろくえん) ここより120m
       御祭神の神使として親しまれている神鹿が30数頭柵の中に飼育されている。
    樹叢(じゅそう)
       鹿島神宮境内約70ヘクタール(70町歩)に繁茂する植物は一千種の多種にわたり特に南限北限の
       植物が同生して植物学上、貴重なため県の天然記念物の指定を受けている
    鹿島の七不思議
       要石・・・・・・・・その根底ふかくて図り知れずという
       御手洗・・・・・・池の深さ大人 小人によらず乳を過ぎずという
       末無川・・・・・・川の水 流れ行くほど追々かれて行末知らず
       藤の花・・・・・・御山の藤の花の多少により その年の豊凶を予知すること
       海の音・・・・・・浪の響が上(北)の方に聞えれば日和
                下(南)に響けば雨降るという
       根上りの松・・・すべて御山の内の松
                 幾度伐れども伐り跡に芽出て枯れることなし
       松の著・・・・・・鹿島の松で作る著は松脂の出たことなしという

                        


   奥参道を進みます。
       300m程伸びる奥参道は鬱蒼とした巨木に覆われ、荘厳な雰囲気を醸し出しています。
       5月1日には流鏑馬神事が執り行われます。
   石燈籠(茨城県指定文化財)
       元和5年(1619)に社殿造営に関係した安藤対馬守が奉納

    * (石燈籠)・・・(絵馬掛け所)

                         


   天然記念物 鹿島神宮の森について
       最近森林浴という言葉が話題になっています。
       これは緑豊かな森の樹木や草花などが発散する殺菌力のある芳香性の物質(フイトンチッド)が人間
       にも良い影響を与えることから林野庁が提唱しているものです。
       鹿島神宮の森は、その上に極相林といって森が到達する極限の状態でありますので、人の心をやわ
       らげ活動をうながす精神的な働きもあります。
       このような姿を昔の人は、神々しい森という言葉でたたえましたが、和らぎと明日への活力づくりに皆
       さんもゆっくりと森の香気にふれて下さい。
       なお境内の宮水である御手洗の湧水も昔から長命水といわれておりますので、この真清水をも賞味
       され健康で活力ある毎日をお送り下さい。

    * (天然記念物 鹿島神宮樹叢)

                         


   さざれ石
      さざれ石の由来
        さざれ石(石灰質角礫岩)は石灰石が長い年月の間に雨水で溶解とその粘着力の強い乳状液が
        次第に小石と凝結し段々と大きくなり、ついには巌となり河川の浸食により地表に露出し苔むした
        ものであります。
        国家「君が代」は天皇の御代の弥栄をさざれ石に託して詠んだ歌がもととなっており、天皇の大御
        代が千代に八千代に年を経てさざれ石の巌となりて苔のむすまで永く久しく栄えますようにという
        祈りの込められた歌であります。
        古今和歌集巻七賀歌に題知らず詩人知らずの歌として
          「わが君は千代に八千代に細れ石の巌となりて苔のむすまで」
        とあります。
        「君が代」は神事や宴席で最後に歌われる祝歌として各地に広がり浄瑠璃や謡曲にも取り入れら
        れ朝廷から一般庶民に到るまで全国津々浦々で歌われる歌となって行きました。
        「君が代」は明治26年日本国家に制定され大正時代ニューヨークで開催された世界の国家コンク
        ールで特等となりました。
          国家「君が代」
           君が代は千代に八千代に さざれ石の巌となりて苔のむすまで
      国旗について
        古来、日本人は太陽を信仰の対象としており国名「日本」も国旗「日章旗」日の丸も太陽崇拝に起
        源するものと思われる。
        日章旗が国旗として扱われるのは明治以降で平成十一年施行の国旗国家法により正式に国旗と
        して定められた。
           高野辰之作詞 岡野貞一作曲
           日の丸の旗 明治44年(1911)
              一、白地に赤く日の丸染めて あああうつくしや日本の旗は
              二、朝日の昇る勢い見せて ああ勇ましや日本の旗は

                  


                             
 

   神鹿について
       鹿島神宮の御神祭である武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)様のところへ、天照大御神(あまて
       らすおおみかみ)様のご命令を伝えに来られたのが天迦久神(あめのかくのかみ)という方で鹿の神
       霊とされていることから、鹿島神宮のお使いは鹿となっています。
       神護景雲元年(西暦767年)に、藤原氏は氏神である鹿島の大神の御分霊を奈良にお迎えして春日
       大社を創建しましたが、そのとき、御分霊を神鹿の背に乗せ、多くの鹿を連れて一年がかりで奈良ま
       で行きました。
       その鹿の足跡が東京江戸川区の鹿骨を(ししぼね)をはじめとして東海道を三重県の名張まで続いて
       残っています。
       また鹿島も古くは香島と書いていましたが、養老7年(723)ごろから鹿島と書くようになったのは、この
       鹿との縁によるものでしょう。
       神鹿は長い間大切に保護されてきておりますが、幾度か新たに導入され、現在の神鹿はかつて鹿
       島から移った奈良の神鹿の系統を受けています。

                  


   親鸞上人旧跡
      鹿園を中心とした一角の土堤内は元鹿島山金連院神宮寺跡降魔山護国院跡にして昔親鸞上人が訪
      れにと伝え、俗に「親鸞上人のお経石」と称して小石に経文の文字を書いたものが出土したことがあり
      ます。
      なお親鸞上人は「教行信証」を著す為一切経その他の文献閲覧の為に、しばしば鹿島神宮を訪れた
      と伝えられます
      当時鹿島神宮は関東有数の経典の宝庫でもありました

                             


   石碑 あづまを桜
      国学者、歌人、桜田門外の変に連座した志士として知られる佐久良東雄が、天保14年(1843)勤王を
      誓うため還俗し鹿島神宮の神前で潔斎し、そのとき鹿島神宮に桜樹千株を植樹されたそうです。
      そのときの桜は今もこの地に残されているそうですがわかりませんでした。

   鹿島八景
      鹿島山の晴嵐(せいらん)
        朝ほらけ近くききしは鹿島山 松のあらしの さそう鹿の音  則瓊(のりよし)

                             


   末社 熱田社(あつたのやしろ)
      祭神 素盞鳴命・稲田姫命
           古くは七夕社(或は田畑社)として農業守護の社です

                             


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