(鹿島神宮HPよりお借りしました) (画像をクリックすると大きくなります) << 奥宮−→大鯰の碑−→芭蕉句碑−→要石−→茶店−→芭蕉句碑−→御百度標−→ −→句碑(柿麿 虎杖)−→御手洗池−→所轄社/大國社−→御手洗池公園入口鳥居跡 >> 奥宮 祭神 武甕槌大神荒魂(あらみたま) 社殿 慶長10年(1605)に徳川家康公が関ヶ原戦勝の御礼に現在の本殿の位置に本宮の社殿として 奉納。 元和5年(1619)に二代将軍秀忠公により現在の本宮社殿が奉建されるに当たり、現在地に引 移して奥宮社殿となりました 標識(←御手洗池 要石→)に従い要石方面にいくと、すぐ五差路になります。 * (要石→) 要石へは直進です。 左側・・・大鯰の碑 右側・・・奉納 梅欅植付の碑 * (左/大鯰の碑)・・・(右/奉納 梅欅植付の碑) 芭蕉句碑 枯枝に鴉(からす)のとまりけり穐(あき)の暮 穐は秋の旧字であり この句はこの地で詠まれた句ではないが 状況が似ているので建てら れたものと推察される * (右/孝阿の詠んだ句碑) 要石 神世の昔、香島の大神が座とされた万葉集にいう石の御座とも或は古代における大神奉斎の座位と して磐座とも伝えられる霊石である。 この石、地を掘るには従って大きさを加え、その極まる所しらすという。 水戸黄門仁特録に、七日七夜掘っても掘っても掘り切れずと書かれ、地震押えの伝説と相俟って著 名である。 信仰上からは、伊勢の神宮の本殿床下の心の御柱的存在である。 奥宮まで戻り、御手洗池方面へ。 奥宮の前に売店があります。 茶店のそばに「芭蕉句碑」がたっています。 芭蕉句碑 此松の 実生せし代や 神の秋 俳聖松尾芭蕉が当神宮に参拝したおり詠んだ句(1687)「神前」の前書がある 海の音 鹿島七不思議のひとつで、海辺にくだける波の音が、上(かみ/北)の方に聞こえる時は翌日は 晴、下(しも/南)の方に響く時は雨が降ると言い伝えられております。 売店から奥宮に向かって「御百度標」があります。 句碑(柿麿 虎杖) 月花に 和らずくし夜や 常陸帯 柿麿(かきまろ) 鶯や 神楽拍子に なれて鳴く 虎杖(こじょう) 標識(←御手洗池 要石→)に従い、舗装された坂を下ります。 坂を下ると売店があります。 御手洗 古来、神職並びに参拝者の潔斎(けつさい)の池である池の水は清く美しく澄み四時滾々と流れ出てど のような旱魃(かんばつ)にも絶えることのない霊泉で、神代の昔御祭神が天曲弓(あまのまがゆみ)で 掘られたとき、宮造りの折一夜にして湧水したと伝えられ、大人小人によらず水位が乳を越えないとい う伝説により七不思議の一つに数えられている。 大昔は当神宮の参拝がこの御手洗を起点としてこの池で身を清めてから参拝するので御手洗の名が 今に残るのである。 * (湧水口) * (涼しさや 神代のままの 水の色 松露庵雪才) * (鹿島神宮大鳥居 笠木御用材 樹齢約600年) 所轄社 大國社 祭神 大國主命 旧6月30日の夕祓に西瓜を献饌して参拝する社です。 御手洗池公園入口にも鳥居がありましたが、東日本大震災のとき鳥居が壊れ再建されていません。 * (鳥居跡) (全景は、パノラマでご覧ください) (画像をクリックすると大きくなります) ● (入口へ) ● |