春日山 ( かすがやま 1,235m  山梨県笛吹市 )
春日山のパノラマ 春日沢ノ頭(くずれ山)のパノラマ 黒坂峠コ-ス
   ● 春日山( かすがやま 1,235m )
       山梨百名山
       春日山頂上には標柱(1235m)がありますが、地図上での標高は1158m。
       三角点のある「春日沢ノ頭(くずれ山)」が地図上での標高は1235.1m。
           地元の人達は、昔から「くずれ山」と呼んでいるそうです。
       春日山は周辺全体を呼び、標柱のある場所(標高1158m)が頂上のようです。

                           


   ● 黒坂峠句碑・・・・解説板によると「花テイ」や「木曽義廣」の歌や句碑。
        花テイ(亭)道等 (1790-1863)
           実名道等 通称五右衛門 諱義記 俳号娯滴斉
           寛政2年井之口村の井口家に生まれ長じて藤 村の北野家九代を継いだ。
           はじめ俳諧を白井河原村の青島道尾について学び、後六庵嵐外の門に入り門弟三首のなか
           で、「嵐外十哲」と讃えられ非凡の才を発揮した。
           また筆道に巧みで「筆の道等」と呼ばれ雅致あつ書を残した。耳順(還暦)の賀に際し国内外
           の俳家から五百余句が寄せられ「芹摘集」が編まれた。
           文久3年3月25日 73歳で没した。

        木曽義廣  (1792-1868)
           名は木平二 通称考蔵 寛政4年信濃国深志の在真宗大谷本願寺末木曽山義仲院長称寺
           という由緒ある寺に生まれた。
           文化4年21歳の時縁あって米倉村斉藤家の娘と結ばれ同家を継いだ。
           義廣は故あって木曽を名のり武家礼法小笠原流の師範で諸事識見高く、また陰陽道にも通じ
           近在の人々から尊敬されていた。
           一方和歌にも優れ多く弟子が教った。
           この一首は黒坂峠から故郷を偲んでの歌である。
           慶応4年5月19日 77歳で没した。
     しかし句のほうは読めませんでした。

                


                (山道などが変更されている場合もありますのでご注意ください)


                          


    (アクセス)
      中央高速・一宮御坂ICで下りた場合(黒坂峠コースの中に、詳しく載せてあります)
        一宮御坂IC通過し国道137に−→信号3つ目(八幡橋南詰)右折→信号4つ目(大野寺)左折→
        −→T字路(←芦川方面)左折−−(県道36)−−−新鳥坂トンネル−→
        −→右回り大カーブ(精進・三珠方面へ 右折)−−(約3km)−→芦川村役場を通過−→
        −−(約100m)−→小さな橋の手前・右折−→猪進入防止ゲート−→黒坂峠
               (詳しくは、黒坂峠コ-スに記載してあります)

      中央高速・甲府南Cで下りた場合
       甲府南IC−(国道358/精進湖方面)−→左右口(ウバグチ)トンネル→芦川大橋手前(左折)−→
       −(県道36)−→鶯宿峠入口・通過−−(約1km)−→
       −→小さな橋の手前・右折(芦川村役場手前約100m ここから黒坂峠コ-スに記載してあります)
       −→猪進入防止ゲート−→黒坂峠


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