(2)経蔵→宝篋印塔

 (川崎大師HPからお借りしました)

                     


  (1)関東第一霊場碑・・・(2)旧本堂礎石・・・(3)宝篋印塔・・・(4)伊呂波歌頌徳碑

  (5)木村新左衛門紀念碑・・・(6)戦災復興之碑・・・(7)弘法大師一千御忌供養塔・・・(8)道標


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  ● 経蔵
       平成16年大開帳奉修記念事業として落慶されました。
       経蔵には中国最後の木版大蔵経「乾隆版大蔵経」7240巻が収蔵されています。
       御本尊・説法釈迦如来の前に置かれた五鈷杵には、金箔の奉納をする事ができ、この奉納によって
       仏様との強いご縁を結ぶことが出来るお堂です。

                             


                         


                  


                  


                              


       「清浄金箔」荘厳のおすすめ
          経蔵に荘厳されている五鈷杵(ごこしょ)は、仏様と私たち衆生の世界がひとつに結縁されること
          を象徴する密教法具です。
          この五鈷杵に清浄金箔を荘厳し、合掌され、ご本尊・説法釈迦仏にご供養することをおすすめい
          たします。
          ご信徒各位には、有難いご功徳を受けられますよう祈念申し上げます。川崎大師平間寺

                             


                    


  ● 霊木「奇跡の銀杏」
       この銀杏は、第二次世界大戦の大空襲により幹の大半を焼失。
       今でも痕跡を樹木の根元に見ることができます。
       戦後、川崎大師はご信徒の信授により大本堂をはじめ七堂伽藍(しちどうがらん)を復興。
       同様にこの銀杏も奇跡的に蘇生、灰燼(かいじん)に帰した川崎大師の歴史を今に伝える古木であり
       ます。
       「奇跡の銀杏」の樹勢にあやかり、健康長寿、心願成就を祈念ください。 平間寺

                                  


  ● (1)関東第一霊場碑 昭和7年(1932)
        現在の関東第一霊場碑は、二代目にあたります。
        初代は昭和7年(1932)秋、東京新聞の前身の都新聞社が企画した「関東十霊場推薦投票」で第
        一位を得た記念として、同新聞社によって建立。
        昭和20年(1945)4月の戦禍により大きく破損。
        昭和43年(1968)9月21日、都新聞の後身である東京新聞により、高さ約5.5m、重量約8トンの碑
        が、大本堂正面向かって左側の前庭に再建されました。

                                      


  ● (2)旧本堂礎石
        旧本堂は、天保5年(1834年)弘法大師一千年御遠忌を記念して建立された。
        間口16間(28.8m)、奥行18間(32.4m)、建坪290坪(957平方m)、高さ73尺(22m)、総欅造総銅甍
        葺の宏壮な建物であった。
        昭和20年4月15日未明、第二次世界大戦の戦禍を蒙り、諸堂とともに焼失した。
        礎石は全部で72個(大・52個、小・20個)、大きなものは四方が3尺1寸7分(105cm)、厚さ1尺5寸
        (59cm)ある。                 平間寺

                      


  ● (3)宝篋印塔
        元は山門より入り本堂へ通ずる中央に在り、宝暦6年3月第29世法印如実の徳川三卿の随一の田
        安家より寄進されたもので、中に湯島霊雲和上開眼の経筒銅等が納められた。
        3月21日宝幢院祐晃法印が開眼供養された。
        尓来破損を生ずる度に田安家より修補の特例があったという。  大本山 川崎大師平間寺

                           


  ● 菩提樹
        川崎大師日曜教苑  開苑20周年記念植樹  昭和59年10月14日

  ● (4)伊呂波歌頌徳碑(大正5年建立)
        「いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならん
                       ういの於くやま けふこ江て あさきゆめみし ゑひもせす
             右弘法大師諸行無常の下偈を國歌に譯統一成り 雲照 (落款) 田鶴年謹刻 」銘

    * (菩提樹)・・・(伊呂波歌頌徳碑)

                         


  ● (5)木村新左衛門紀念碑 昭和5年(1930)
        第二次世界大戦で焼失した旧山門は明治35年(1902)に建立されました。
        総欅造りの山門は規模・彫刻が関東第一と称される荘厳なものでありました。
        碑には棟梁・木村新左衛門の偉業が刻まれています。

                      


  ● 三笠宮妃殿下お手植の月桂樹

  ● (6)戦災復興之碑  昭和49年〈1974〉5月

    * (三笠宮妃殿下お手植の月桂樹)・・・(戦災復興之碑)

                                     


  ● (7)弘法大師一千御忌供養塔 文政3年(1820)
        真言宗宗祖弘法大師空海上人が承和2年(835)3月21日、御年62才で高野山・奥の院にご入定さ
        れてから天保5年(1834)は丁度一千年の御遠忌にあたり、それを記念して建碑されました。
        発願主は米山松寿という人だそうです。

  ● 石燈籠一対 貞享2年(1685)

    * (弘法大師一千御忌供養塔)・・・(右画像/石燈籠一対)

                      


  ● 弘法大師道標 
       厄除け大師として知られている川崎大師・平間寺は、大ぜいの参詣者でたいへんな賑わいをみせる
       ことで有名です。
       信仰と行楽をかねた川崎大師への参詣は、江戸時代初期からたいへん盛んになりました。
       そこで江戸から参詣者のために、寛文3年(1663)に本道標が建てられました。
       道標は、高さ171センチメートルと大形で、しかも力強い書体で「従是方々大師江之道」(これより弘
       法大師への道)と刻まれております。
       現在は境内に建っていますが、当初は、川崎宿下手の土居(川崎宿の多摩川寄り入口)付近にあり
       ました。
       江戸からの参詣者は、六郷川(多摩川)を渡って船場町(現在は多摩川の河床)にいたり、本道標の
       指示にしたがって左折し、大師道へと歩んでいきました。
       本道標は、菱川師宣(ひしかわもろのぶ)の「東海道分間絵図」(元禄3年・1690刊)や「川崎宿船場
       まち絵図」(明和2年・1765作図)、さらに、享和年間(1801〜1804)に道中奉行所が作成した「東海
       道分間延絵図」の中にも描かれており、歴史的にも川崎宿を代表する貴重な石造の記念物です。
       川崎市教育委員会では、昭和63年11月29日、本道標を川崎市重要歴史記念物に指定しました。
               平成元年 3月           川崎市教育委員会

                            


  ● (8)道標
        寛文3年(1663年)川崎宿の渡し場(現在の六郷橋のたもと)近く、大師へ至る道の
        入口に建てられたもので、この碑には、「こうぼう大し江のみち」と刻まれている。
        この碑は、第二次大戦後六郷橋付近の道路拡張工事にともなって、当山の境内に移管されたもの
        である。          大本山川崎大師 平間寺

                      


                          


  ● 祈りと平和」の像
       「祈りと平和」の像」に寄す
          茶道裏千家家元勤仕による当山ご供茶式と茶道裏千家淡交会川崎支部、川崎青年会議所、川
          崎大師平間寺共催の大茶会は、三者の協調に献身的な努力のもとに、大いに地域社会の文化
          向上に寄与し、ここに、心新たに意義ある20周年を迎えた。
          本年、宗祖弘法大師壱千百五十年御遂忌並びに、当山吉例十年目ごと大開帳奉修の法縁にあ
          たり、大師の鴻恩に報謝の誠を捧げ三者の目的達成、発展を期するとともに、更に祈りに徹して
          やすらぎに住し、永遠の平和を願う真心を伝承せんがために、ここにこの像を建立する。
          作者は、霊峰冨士の頂上に来迎された観世音菩薩(女神)の天にひろがる大慈悲心と釈尊の初
          転法輪の聖地・鹿野苑にみなぎる世界永遠の平和の祈りを象徴されている。
          因みに、彫刻家である、文化功労者・日本芸術院会員・圓鍔勝三先生にこの制作を依頼した。
             昭和59年10月7日 大本山平間寺貫首  第四十四世 中興第一世 大僧正 隆天

                     


                  



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                               ● (入口へ) ●

 

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