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<< 絹の道資料館3 >> ● 絹の道物語 八 鑓水商人と道了堂 道了堂 道了堂は、明治7(1874)年、浅草花川戸にあった寺より、道了薩た(どうりょうさった)を勧進 し創建されました。 この創建には、永泉寺17世渡辺大淳ならびに、ならびに、八木下要右衛門・大塚徳左衛門 らの鑓水商人たちが尽力したといわれています。 霊験あらたかと伝えられて、多くの人々の信仰をあつめました。 こうした様子は、版画にまでなっています。 碑文の大意 道了堂は、大雄山最乗寺の守護神として威徳を世に知られていた。 この辺りでは、たび重なる悪徒の往来や疫病を除くため、東京の花川戸から御影を遷座した ところ、たちまち平穏を得た。 それで、有志が集い石段と水屋を設けて感謝の意を表することとした。 ![]() ![]() ![]() ![]() 鑓水の中には、江戸時代から明治時代の前半にかけて、豪商たちが残した数々の記念物があり ます。 これらは村役人であり、大地主であった彼らが率先して神社や寺へ寄進したものでした。 もちろん糸繭商をはじめ、質屋や酒造りでえた資金を誇る意味もありましたが、村の繁栄をねがい、 商売の成功を祈る気持ちがこめられていたものとおもわれます。 明治8(1875)年建立の道了堂は、その代表ともいうべき寺院でした。 諏訪神社と鑓水商人 諏訪神社は、創建の年代はあきらかではありませんが、寛政10(1798)年に再興されたことが棟 札によって知ることができます。 再興世話人には、大塚徳左衛門、八木下善兵衛(要右衛門) などの村の有力者もくわわっていました。 この後、徳左衛門家と要右衛門家は糸商をはじめさまざまな商売で財産を増やしていきました。 そして、この両家は競ってこの諏訪神社に多額の寄進をしていきます。 明治9(1876)年、諏訪神社・八幡神社を合祀して、現在みる姿になりました。 諏訪神社の例大祭 諏訪神社の例大祭は、ふるくから春の4月19日に行われていました。 この日は、神社の祭儀とともに、村芝居や歌舞伎がもよおされて大変なにぎわいになったと言 われています。 娯楽の少なかった当時では、例大祭の日は、大人も子供も、楽しみにしてい たことが想像されます。 ![]() ![]() ![]() ![]() 織物のはぎれがたくさんついている本を「織物見本帖」と言います。 ひとつは高機で織った布で、もうひとつは機械で織った布です。 色や柄がそれぞれ違うのがわかります。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 毛蚕のたんじょう たまごのからを食いやぶって生れてくる小さな幼虫。 生まれたばかりの幼虫は、黒い色をしています。 からだ全体に毛が生えているので” 毛蚕 / けご ”と呼ばれています。 ![]() ![]() ![]() どんどん育つ幼虫 クワの葉をたくさん食べて少し大きくなった幼虫は、小さくなった皮を脱いで成長します。 これが脱皮です。 幼虫は脱皮をするごとにどんどん大きくなっていきます。 ![]() ![]() ![]() もりもり食べる幼虫 4回の脱皮をくり返して成長した幼虫は、クワの葉を朝から晩までもりもりたべます。 たくさんのカイコが葉を食べている時の音は、まるで雨がふるように聞こえます。 ![]() ![]() ![]() 幼虫のまゆづくり クワの葉をたくさん食べて十分大きく成長した幼虫は、まゆをつくる場所をさがして歩きまわります ”まぶし”と呼ばれるわくの中にもぐりこんで、いよいよまゆづくりです。 ![]() ![]() ![]() まゆの中のサナギ 幼虫は糸をはきはじめてから約2日くらいでまゆを完成させます。 まゆをつくりおえた幼虫は脱皮をしてサナギになります。 はじめはやわらかいサナギも、だんだん固くなります。 ![]() ![]() ![]() まゆからぬけでる成虫〜交尾 まゆのかべをおし広げて、まっ白なカイコガは出てきます。 まゆから出たメスは、すぐににおいの信号を出します。 においをたどってメスを見つけたオスはすぐに交尾をします。 ![]() ![]() ![]() ![]() たまごを産むカイコガ 交尾をしたメスは、まもなくたまごを産みます。 1つ1つていねいに約500個のたまごを一晩中産みつづけます。 メスはたまごを産みおえると死んでしまします。 ![]() ![]() ![]() (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |