(小石川後楽園HPからお借りしました) (画像をクリックすると、大きくなります) |
<< 入口−→サービスセンター−→涵徳亭−→庭園入口−→有楽椿−→渡月橋−→ −→西湖の堤−→大堰川−→屏風岩−→清水観音堂跡−→通天橋 >> ● 入口を入ります。 小石川後楽園の創設者たち 初代/徳川頼房(1603〜1663) 二代/徳川光圀(1628〜1700) 朱舜水(1600〜1682) ● サービスセンターと売店 ● 涵徳亭(かんとくてい) 本園創築時代に造られた萱葺(かやぶき)の茶室で硝子紙をもって障子としたため「硝子(ビードロ)ノ 茶屋」と呼ばれていたのを、享保年間に林信篤(はやしのぶあつ)が涵徳亭と名づけました。 現在の建物は四代目で昭和61年に再建しました。 ● 庭園入口を入ります。 ● 有楽椿 ● 庭園内からの涵徳亭 (全景は、パノラマでご覧ください) ● 渡月橋 大堰川にかかる低い土橋で、京都嵐山の「渡月橋」の名をとりました。 ● 西湖の堤 この石堤は中国の名勝地西湖を模して造られたもので、本園以後の大名庭園の「西湖の堤」の先駆 けとなりました。 ● 大堰川(おおいがわ) 京都の嵐山の下を流れる大堰川にちなんだもので、三代将軍家光がしばしば来園し、大泉水の設計 と共に種々助言を与えたものと言われています。 両岸には蛇篭を伏せ、神田上の水を暗渠 により引き入れ、江戸時代には清き流れで園景を引き立 てていました。 ● 屏風岩 屏風のように真直ぐに屹立していることから屏風岩と呼ばれています。 三代将軍家光がしばしば訪れた際に、この近くの松の枝に手拭いを掛け、河原の石に腰をおろした といわれます。 (全景は、パノラマでご覧ください) ● 階段を登っていくと「渡月橋・涵徳亭方面」が見渡せます。 ● 右下に下る道がありますが、直進です。 * (直進)・・・(右下へ下る道) ● 清水観音堂跡 京都清水寺を写した観音堂があったが、大正12年の関東大震災で焼失しました。 ● 通天橋に向かって階段を下っていくと、橋の手前に右下に下る道があります。 ● 通天橋 京都・東山東福寺の「通天橋」にならい、大堰川の渓流に朱塗りの虹橋をかけたもので、この付近の 楓の紅葉は趣が深いところです。 (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |