(9)中雀門跡→大番所→中之門跡

           


      * (8/中雀門跡)・・・(7/大番所)・・・(6/中之門跡)・・・(5/百人番所)・・・(1/大手門)


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  ● 「大奥跡」・「本丸大芝生」の脇を通って「中雀門跡」へ向かいます。

             


                    ( (5)天守台→大奥跡→本丸大芝生 に記載 )

  ● 中雀門跡を下っていきます。
       中雀門は御玄関前御門や御書院御門とも呼ばれていたそうです。
       本丸御殿への最終の門で、文久3年(1863)の火災で本丸御殿が焼けた時に類焼し、石垣の表面は、
       熱によりボロボロになっています。

    * (大番所へ向かって下ります)・・・(大番所がみえてきます)

                  


 *****

    * (大番所からのぼっていくと)

                  


  ● 大番所
       「番所」とは、警備の詰所のことで、百人番所、同心番所とこの大番所の3つが残っています。
       中之門の内側に設けられ、江戸城本丸への最後の番所であり、他の番所よりも位の高い与力・同心
       によって警備され、役割はきわめて重要であったと考えられています。
       大番所は再建されたものですが、背後の15段の射撃用の石段も古く風格のある立派な建物です。

                  


  ● 中之門跡
       江戸城の中でも最大級の巨石(35t前後)が使用され、目地がほとんど無い、整層・布積みの石垣
       です。
       明暦4年(1658)に普請され、元禄16年(1703)地震で倒壊した石垣を修復し、その後約300年の間
       に、石材の移動による目地の開き・孕み、荷重や風化による破損・剥離等が発生していたため平
       成17年(2005)から平成19年(2007)まで20ヶ月かけて解体・修復工事が行われました。
       三次元レーザ測量から築石一石ごとの立体モデルを作成し、コンピュータ画面上で、石垣創建当
       時の線形を推定するなどの修復工事の概要が、中之門跡に詳しく表示されています。
       中之門石垣解体に伴い、築石同士を連結する銅製の「契り(ちぎり)」や築石の据付に使用した銅
       製・鉄製の「敷金」など様々な遺物が出土しました。

                          


  ● 中之門跡をでると、「百人番所」です。

    * (百人番所から中之門跡へ)

                  


    * (百人番所・・(2)同心番所→二の丸雑木林 に記載)

             


  ● 大手三の門・大手門渡櫓・大手高麗門を通って地下鉄駅へ

    * (大手三の門)・・・(大手門渡櫓)・・・(大手高麗門)

                  



                         (画像をクリックすると、大きくなります)


                               ● (入口へ) ●


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