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<<桜門−→東照公御遺訓−→家康公御手形−−→稲荷神社・厳島神社−→家康梅−→萬年青献上 −→手水鉢−→神厩鼓楼−→柳生家の家訓−→五重塔跡−→神饌所−→八房梅−→実割梅>> ● 参道の脇に「駕籠」が置いてあり、写真撮影に利用できるそうです。 ● 階段を上り、「桜門」をくぐります。 この門をくぐって東照宮詣でが始まります。 二階部分には後水尾天皇の宸筆(天皇陛下御自ら書かれた書)である「東照大権現」の扁額(へんがく) が掲げてあり、勅額御門とも言われています。 元和3年(西暦1617年)の建造。 ● 東照公御遺訓 人には向ふざすといふ事なければ 其の心掛けも自から薄くなるなり 解意 人間には目標がなければ努力する気力も薄くなって成功し難いものである。 そのために、あえて高い目標を揚げて努力するべきである。 ● 家康公御手形 38歳 身長155cm 体重60kg 手形色紙は授与所にて頒布致しております。 ● 「稲荷神社」と「厳島神社」 ● 家康梅 奉納者 丸子梅園 静岡市駿河区丸子 徳川家康公は生前梅をこよなく愛され、中でもこの家康梅は水戸の初代藩主頼房公(家康公第11男) の出産を祝い無事成長を祈り、家康公自らの手で植樹された。 当初、浜松城内で栽培されていたが、後に水戸へ移されました。 その後、静岡の丸子梅園にて接木を施し育成したものを、由縁深き久能山東照宮に移されたものであ る。 久能山東照宮 ● 萬年青献上(平成3年6月吉日) ● 重要文化財 手水鉢 奉納 黒田信濃守直綱 元和3年7月17日 ● 神厩(しんきゅう) 家康公の愛馬を飼育するために建てられた厩舎です。 その昔、愛馬は夜になると家康公神廟の脇で休み、朝になると厩舎で餌を食べていたそうです。 ある朝、馬が厩舎に戻らなかったため神廟を確認したところ、静かに眠ったままの姿で見つかりました。 その話を聞きつけた名工、左甚五郎が愛馬そっくりに彫刻し、この厩舎に納めたと伝えられています。 馬の眼球には当時大変貴重であったギヤマン(ガラス)が使用されています。 神馬 ご利益 縁結び・子授け・安産・無病息災 ● 階段を上り、石の鳥居をくぐります。 ● 鼓楼 (ころう) 創建以来、鐘楼(しょうろう、鐘を突く建物)として扱われてきましたが、明治時代に行われた神仏分離の際 鐘楼は仏教施設であるということから中身を太鼓に替え、現在の「鼓楼」となりました。 太鼓は明治6年に旧幕臣であった小島勝直氏が江戸城にあったものを奉納したと伝えられています。 ● 柳生家の家訓 1小戈は、縁に出会って縁に気づかず 1小戈は、縁に気づいて縁を生かさず 1小戈は、袖すり合った縁をも生かす ● 五重塔跡 三代将軍家光公の命により建立された五重塔が明治時代まで設置されていました。 江戸時代に作成された地図などには久能山のシンボルとして描かれることが多く、30mを超える技術的・ 芸術的にも優れた塔と伝わっていますが、神仏分離令を受けて明治6年に取払われ、現在は礎石が残さ れています。 中央の朝鮮蘇鉄は駿府城本丸より移植したものです。 ● 重要文化財 神饌所 正保4年(1647)の建築で、中心社殿手前の参道脇に建っています。 平面は、桁行5間、梁間3間、入母屋造、銅瓦葺で、内部は、神饌を調える2部屋を配し、渡廊で本殿前 面の石の間に接続している。 八房梅 実割梅(家康公御手植え) (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |