(1)鍛冶曲輪/自由広場

                         


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   ● 武田信玄公の像(甲府駅南口から徒歩1分)

                             


   ● 「遊亀橋」を渡ります。

                          


                  


   ● 「遊亀橋」を渡ると、案内板があります。

                             



        



   ● 右側の「鍛冶曲輪」は芝生が整備され「自由広場」としています。

                  


         会所(勘定所)跡
            江戸時代の後半ぐらいから絵図に描かれる役所で、年貢や作事・普請(工事)に関わる事務
            を取り扱う場所と思われます。
            地下には、建物の遺構が多く残っています。
         勧業試験場跡
            明治時代初め、官営の葡萄酒醸造所がこの場所にあり、全国で初めてワインの量産に成功
            しました。
            発掘調査で陶磁器のワインボトルも発見されました。


                          


            


       


   ● 小田切謙明の石碑
         小田切謙明翁は、幕末の弘化3(1848)年に甲府で生まれました。
         明治維新後は、山梨県最初の小学校設立に尽力し、本県の自由民権運動の中心人物としても、
         新聞の発行や、市議会および県議会議員を歴任するなど、山梨県の近代化に大きな足跡を残し
         ました。
         また地域振興にも意を注ぎ、かつて甲府駅前を賑わせた「海州温泉/かいしゅうおんせん」の呼び
         名は、開発者であった小田切謙明の雅号からつけられました。
         このように、山梨県の近代化に大きな役割を果たしながら、明治26(1894)年に48歳の若さで亡く
         なりました。
         石碑は、その功績を漢文で記したものです。左の読み下しを参考に漢文に触れてみてください。

                         


   ● 階段をのぼり右折し、「稲荷曲輪門」へ向かいます。

                          


   ● 水溜跡
         発掘調査によって初めて確認された、水を溜めておく所です。

                          


                  


   ● 分岐の左側をのぼっていきます。

                          


   ● 稲荷曲輪門
         稲荷曲輪と鍛冶曲輪をつなぐ門です。
         発掘調査によって、柱の跡などが見つかりました。
         享保の火災でも焼けず、明治初年までは残っていたものを、形成11年に復元しました。
         門の形式・・単層門  入母屋造り  瓦葺き  東側に土塀付き
         門の規模・・開間八尺九寸  控柱間六尺弐寸(間口2.7mx控え1.9m)

                          


                             



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                               ● (入口へ) ●

 

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