鍛冶曲輪/自由広場からのパノラマ 稲荷櫓手前広場からのパノラマ(2) 稲荷櫓そばからのパノラマ(2) |
(2)数寄屋櫓跡→稲荷曲輪跡 (3)稲荷曲輪→稲荷櫓 天守台前からのパノラマ |
(5)内松陰門→鉄門 (6)坂下門跡→日本庭園 (7)山手御門 |
● 甲府城の歴史 古くは甲斐府中城、一条小山城、舞鶴城、赤甲城などとも呼ばれていました。 天正10年(1582)、甲斐国は戦国大名武田氏の滅亡後、織田信長の領国となりましたが、本能寺 の変の後は徳川家康の支配をうけました。 その後、豊臣秀吉が天下統一をなしとげると、秀吉は甲斐国に甥の羽柴秀勝、腹心の部下の加 藤光泰、浅野長政・幸長父子によって完成しました。 慶長5年(1600)関ヶ原の戦い後、江戸時代は再び徳川の城となり、幕末まで存続しました。 明治時代にはいると、甲府城は廃城となり、明治10年前後には建物はすべて取り壊され、次第に 市街化され解体されていきました。 現在は本丸を中心とした内城の一部が城跡としての良好な景観を保ち、県指定史跡甲府城跡(舞 鶴城公園)として保護されています。 * (遊亀橋より) * (鍛冶曲輪/自由広場より) * (稲荷曲輪より) * (天守台) ● 案内コース (1) 武田信玄公の像(甲府駅南口)−→遊亀橋−→鍛冶曲輪/自由広場→ −→会所(勘定所)跡−→勧業試験場跡−→小田切謙明の石碑−→ −→水溜跡−→稲荷曲輪門 (2) 水溜跡脇の分岐−→石切場跡−→御製の碑→数寄屋櫓跡→矢狭間と鉄砲狭間→ →数寄屋曲輪−→稲荷曲輪広場→二重の石垣→稲荷曲輪門→四阿−→庄城稲荷跡 (3) 稲荷曲輪−→稲荷櫓−→線刻画−→展示物−→硝煙蔵跡−→井戸−→北側出口へ (4) 本丸櫓跡−→暗渠−→天守台−→明治天皇御登臨之阯 (5) 内松陰門−→銅門跡−→謝恩碑−→鉄門−→石垣の構造 (6) 中の門跡−→武徳殿(二の丸跡)−→坂下門跡→日本庭園→舞鶴城公園管理事務所 (7) 山手御門−→山手渡櫓門−→展示室−→石垣 ************************************** ● アクセス 電車の場合 JR中央本線・甲府駅南口から徒歩約5分 車の場合 中央自動車道・甲府昭和ICから15分 駐車場 公園の駐車場はバス・身体の不自由な方の専用駐車場 利用希望の際は、中北建設事務所への事前利用申請が必要 (055-224-1673) (甲府市観光課HPを参考にしました) ● 「地域別山名」をクリックすると、最後の方に「お城ほか」があり、各地のお城が記載してあります ● (画像をクリックすると、大きくなります) ● (ホームへ) ● |