(5)天守二階1

                        


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   ● 天守二階
       天守二階の母屋の中の柱間(京間寸法)は東西7間、南北6間で、柱に残る小舞穴の痕跡から、この
       階は8室に部屋割りされていたことが分る。
       武者窓(竪格子窓)からの明かりも多く、有事には武者達の営所に当てることができた。
                     (東西) (南北)          (東西) (南北)
              東南の室 2間 × 3間   中北一の室 1間 × 1間
              中南の室 2間 × 3間   中北二の室 2間 × 1間
              西南の室 3間 × 3間   中北三の室 3間 × 2間
              東北の室 1間 × 3間   西北 の室  3間 × 3間

              


   ● 松本城鉄砲蔵
       松本城天守は、我が国へ天文12年(1543)に初めて火縄銃が伝わってから、50年後の文禄2年から
       3年(1593〜94)にかけて築造された。
       天守の厚い塗りごめの壁や鉄砲を撃つための数多くの狭間などは、火縄銃の攻防を予想して築か
       れたものである。
       松本市出身の故・赤羽通重氏は、か代子夫人とともに一生涯かけて、数多くの鉄砲・装備品・文書
       類などを収集された。
       赤羽氏はこの貴重なコレクションを鉄砲戦を想定して築造された松本城に展示することは意義が深
       いと考えられ、鉄砲141挺をはじめ数多くの装備品や文書類を松本市に寄贈された。
       松本市では、平成3年4月に「松本城鉄砲蔵」を開設し、さらに質・量ともに充実した赤羽コレクション
       を平成11年3月に松本城天守二階と松本市立博物館とに分けて展示。
       松本城天守には火縄銃の種類や製銃地などを、また松本市立博物館には武器を歴史の流れにそ
       って位置づけて展示してある。

    * (鉄砲蔵)・・・(大型火縄銃と馬上筒)

                


                  


   ● 銃身と銃床の造り方(銃身の制作法)
       真金はよく鍛錬した鉄棒で、これに銃身になる瓦金を赤熱して叩きながら巻きつける。
       荒巻が終ったら合せ目を赤熱して沸付けし、真金を入れてよくなじませ、丸くする。
       尾栓はねじ切りで工作して取付ける。
       巣口は型を沸付けしてやすり仕上げをし、銃腔内研磨等をする。
       数物の「番筒」はこれでよいが、瓦金仕上げしてからさらに細長い帯金を巻いて溶着したもの、さら
       にその上に2重に巻張りをして溶着し、上質の銃身をつくることがある。
       上身に前目当、先目当、横に火皿を取付けて完成。
       上質「はがね鉄」の2重巻張り銃身は最高級品である。

    * (銃身と銃床の造り方)・・・(銃身の制作法)

                             


    * (鉄砲のできるまで)

          


   ● 火縄銃の制作地と特徴
       鉄砲伝来からほぼ10年の間に鉄砲は優秀な刀匠集団により、九州・近畿を中心に大量に生産され
       戦いに用いられるようになった。
       しかもその製法は、外国の教えをほとんど受けることなく、独自の研究工夫によって開発完成したの
       である。
          薩摩筒(鹿児島)   根来筒/紀州筒(和歌山)   阿波筒(徳島)   境筒(大阪)
          備前筒(岡山)   国友筒・日野筒(滋賀)   仙台筒(宮城)

    * (天下をねらう人々と鉄砲の広がり)

                            


                               


                  


                  


   ● カラクリ(火縄銃の機関部)
       発射法
        1 火縄銃は前装銃であるから、銃口を上に向けて火薬を注ぎこみ、弾丸を入れさく杖を持って上
          から突く。
        2 銃を水平に戻して安全装置の火蓋を開け、薬室に小穴で通じている火皿に点火薬を入れ、火
          蓋を閉じる。
        3 引き起してある火挟の竜頭に、点火した火縄の先を挟み火蓋を開く。
          開くことを切るといい、いわゆる「戦いの火蓋が切られる」という言葉がここから生まれている。
        4 銃身を左の手で支え、銃床尾を右手で握り、右手を頬に当て照準目当で狙いをつける。
        5 引金を引くと、火挟が火皿を打ち火縄が火皿の点火薬に着火し、薬室に導火されて爆発が起
          こり弾丸が発射される。
       早合による弾丸の装填
          火縄銃の装填を少しでも早くと考えられたのが早合である。
          前もって底をつけた革や紙の筒に玉と火薬をつめて封またはふたをしておく。
          使う時にその封またはふたを取って火薬と玉を同時に銃口から入れるのである。
          早合は、早合入れと呼ぶ動乱に入れるか、襷早合という弾帯で肩にかける。

                             


       平カラクリ
         伝来当時のカラクリに、日本人の器用さと簡素さを加味して完成させたのが、このカラクリである。
         一番多く作られたと思われるカラクリで、日本全国どこでも見られるポピュラーなものである。
         正しく調整しておいても、持ち歩いているうちに徒落(かけおち)の可能性が生じる短所がある。
       外記(げき)カラクリ
         江戸時代の寛永年間に、幕府鉄砲方、井上外記正継によって考案された、蛭クワエと火挟みと
         ロックされるカラクリで、無双カラクリとも呼ばれた。
         このカラクリは部品が多いため、正しく調整してロックするのに時間がかかる。
        爆発等の徒落は完ぺきに防げる理想的なものである。
       蟹の目無き内カラクリ
         江戸時代中期に開発された、だぶるゼンマイカラクリとも言われているカラクリ。
        火挟みの回転軸に、地板をはさんでロックブレイトと発条を付け、楔ピンで止めてセットする。
         そして火挟みを持ち上げると、機構一式が火挟みと同じ回転をし、ロックされる。
        一度完ぺきにロックされると徒落の心配が一切ないカラクリである

    * (平カラクリ)・・・(外記(げき)カラクリ)・・・(蟹の目無き内カラクリ)

                            


       雑兵物語(赤羽氏寄贈)
         江戸時代初期の兵法書で、成立は明暦3(1657)年以降天和3(1683)年以前と推定される。
         内容は、鉄砲足軽など雑兵30人の戦場での体験談を口語文で会話形式に記したもので、雑兵
         の実態、考え方、武器用具の扱い方などを示す貴重な資料である。
       武器 圖(ぶきにひゃくず)
         嘉永元(1848)年、武器類を子供にもわかりやすく覚えられるようにとの趣旨で図説したものを一
         冊にまとめたもので、切り取ってカルタにして遊ぶことができる。
         銃器類の他にも弓矢、剣、防具、道具なども描かれ、実物を見て描かれたものから、口伝、古書
         の模写まで様々である。

    * (雑兵物語/赤羽氏寄贈)

    


    * (武器 圖/ぶきにひゃくず)

               


                      


    * (鉄砲頭と当世具足)

                          



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