松本城 ( まつもとじょう 長野県松本市 )
本丸御殿跡からのパノラマ
埋の橋付近からのパノラマ
(1)開智駐車場〜券売所
(2)黒門〜本丸御殿跡
(3)乾小天守
(4)天守一階
(5)天守二階1
(6)天守二階2
(7)天守三・四階〜五階
(8)天守六階
(9)天守四階
(10)辰巳附櫓二階〜月見櫓

   ● 松本城
        姫路城、犬山城、彦根城とともに国宝に指定されている名城です。
        五層六階の天守閣を持つお城として、現存するわが国のお城の中では最も古いものです。
        北アルプスや、美ケ原高原の山並みを背景にして立つ、松本市のシンボル的存在です。
      *創始 
         松本城は、戦国時代の永正年代はじめに造られた深志城が始まりといわれています。
         戦国時代になり、世の中が乱れてくると、信濃府中といわれた松本平中心の井川に館を構えて
         いた信濃の守護小笠原氏が、館を東の山麓の林地区に移すと、その家臣らは、林城を取り囲む
         ように、支城を構えて、守りを固めました。深志城も、この頃に林城の前面を固めるために造られ
         ました。
         その後、甲斐の武田信玄が小笠原長時を追い、この地を占領し信濃支配の拠点としました。
         その後、天正10年(1582年)に小笠原貞慶が、本能寺の変による動乱の虚に乗じて深志城を回
         復し、名前を「松本城」と改めました。
      *天守築造
         豊臣秀吉は、天正18年(1590年)に小田原城に北条氏直を下し天下を統一すると、徳川家康
         を関東に移封しました。
         この時、松本城の小笠原氏は家康に従って下総へ移ると、秀吉は石川数正を松本城に封じまし
         た。
         数正・康長父子は、城と城下町の経営に力を尽くし、康長の代には天守三棟(天守・乾小天守・
         渡櫓)をはじめ太鼓門・黒門・櫓・森などを造り、本丸・二の丸を固め三の丸に武士を集めました
         また、城下町の整備を進め、近世城郭としての松本城の基礎を固めました。
         天守の築造年代は、康長の文禄2年から3年(1593〜4年)と考えられています。
                                       (松本城パンフレットより)

                          


                  


   ● 江戸時代中期の松本城の様子
       本丸と二の丸からなるこの地域は、松本城の中核部である。
       本丸には、面積約2730uの本丸御殿(政庁)と五重の天守閣がそびえてた。
       二の丸には、東から面積約2330uの二の丸御殿(藩庁)、面積約700uの古山地御殿(城主私邸)、
       藩の籾蔵、幕府の八千俵蔵(備蓄米2000石貯蔵)、焔硝蔵が並び、また外敵に備えて5棟の隅櫓が
       おかれていた。
       なお現在二の丸御殿跡は平面復元されている。

   ● 松本城と城下町
       松本城はもと深志(ふかし)城と呼ばれ、中世には小笠原氏の一支城であった。
       そのころすでに今の二の丸東側には市町が形成されていたが、西方一帯は沼地であった。
       本格的な近世城づくりが始まったのは1580年代で、城郭と城下町一体の都市計画を推進したのは、
       豊臣大名としてこの地に入った石川氏である。
       天守を建てたのは2代康長の時で1593〜94年と推定される。
       3重の水堀と塁を巡らして郭の縄張りを行い、本丸と二の丸を内部として三の丸を外郭とした。
       この広さはおよそ39万uで、内郭には天守、御殿、蔵など城主と藩の施設を置き外郭は城主の親
       衛隊である上級家臣の屋敷地とした。
       総延長3.5kmの塁上には透き間なく土塀をかけ、前面は完全囲繞の水堀で、厳重な城門を構える
       虎口(枡形と馬出し)だけが城内への通路である。
       城外は南から北へ通る善光寺街道に沿って城下町を割り、その東側に寺社を配置した。
       城下の町筋は格子状のものより鍵の手や丁字形交差が多い。
       居住区分は厳格で士と町人の混住はまったくなく、土屋敷地は木戸の内と外に分けて中級と軽輩
       の居住区とし、町人地は親町3町、枝町10町、24小路にランク付けして、身分と職業によって住まわ
       せた。 左図は城郭の北東上空から南方を望む鳥瞰図である。


               


   ● 松本城の沿革
       江戸時代の末には全国に186城の城郭が存在していたが明治維新を迎えると、旧物破壊の風潮が
       起こり多くの城が失われた。
       松本城もその波に洗われ、御殿は勿論門・塀や多くの櫓が壊されたり売却されたりした。
       その他土塁や石垣も崩され、堀も次第に埋め立てられた。
       総面積39万u(12万坪)といわれた広い城郭は、内堀を除いて外堀・総堀はその多くが埋められた。
       天守も一旦は235両永150文で売却され取り壊し寸前になった
       しかしこれは幸い市川量造氏等の奔走によって買い戻された。
       その後次第に城郭保存の風潮が高まり、昭和4年3月国宝保存法が施行されてから昭和20年まで
       に、全国で22城が国宝に指定された。
       しかし第二次世界大戦で名古屋、大垣、和歌山、岡山、福山、広島の6城は天守を失い、松前城は
       火災を受けた。
       このため現在文化財保護法による国宝や重要文化財の天守は、わずか12城にすぎない。
          「国宝」   松本城・・犬山城・・彦根城・・姫路城
          「重要文化財」 弘前城・丸岡城・松江城・備中松山城・丸亀城・・松山城・宇和島城・高知城



                        (画像をクリックすると、大きくなります)

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     ● 見学コース
         開館時間・・午前8時30分から午後5時まで  (入場できるのは午後4時30分まで)
                     ゴールデンウィーク、夏季期間は閉城時間を1時間延長
       休館日・・12月29日から1月3日
       観覧料・・大人 600円、小中学生 300円

     ● 駐車場
         *市営松本城大手門駐車場 (松本城まで徒歩約5分) 電話:0263-33-1010
                         開場時間 7時30分〜22時30分まで
                         普通車 30分ごと150円   大型車 30分ごと250円
         *市営開智駐車場 (松本城まで徒歩約3分) 電話:0263-39-6650
                         開場時間 8時00分〜18時00分まで
                         普通車 1時間以内200円 超過30分毎100円

     ● 松本城管理事務所
         〒390-0873 長野県松本市丸の内4番1号 電話:0263-32-2902 FAX:0263-32-2904
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     ● アクセス
         *車の場合
           長野自動車道松本ICから国道158号を松本市街地方面へ向かい約3km 約15分
         *電車の場合
            JR篠ノ井線 松本駅下車 徒歩にて約15分
         *バスの場合
            松本周遊バス「タウンスニーカー」北コース
                     「松本駅お城口」発 「松本城・市役所前」下車 乗車時間約10分


                    
   

                         (松本観光情報HPを参考にしました)


                         (画像をクリックすると、大きくなります)


                               ● (ホームへ) ●



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