広島城 (ひろしまじょう 広島県広島市 )
表御門付近からのパノラマ
広島護国神社からのパノラマ
大本営跡付近からのパノラマ1
大本営跡からのパノラマ2
(1)表御門→平櫓→渡櫓
(2)多聞櫓→太鼓櫓
(3)中御門跡
(4)広島護国神社
(5)天守閣
(6)堀の内側を石垣をみながら

   ● 史跡広島城跡   指定 昭和28年3月31日
        史跡指定地 本丸跡、二の丸跡、堀およびその周辺
        別名      鯉城(りじょう)・在間城(ざいまじょう)
        形状      太田川河口の低湿なデルタ上に築かれた大規模な輪郭式の平城

        沿革   1589年(天正17年)  毛利輝元 築城工事に着手
              1591年(天正19年)  毛利輝元 入城
              1600年(慶長5年)   福島正則 芸備49万石余を領し、翌年3月入城
              1619年(元和5年)   浅野長晟 芸備42万石余を領し、8月入城
              1871年(明治4年)   廃藩置県により本丸内に大本営を置く
              1945年(昭和20年)  原爆により天守閣・太鼓櫓・表御門などすべて崩壊
              1958年(昭和33年)  現在の天守閣再建


                          


  ● 史跡広島城跡二の丸 平櫓・多聞櫓・太鼓櫓(復元)
       平櫓、多聞櫓及び太鼓櫓の創建時期は、天正期末(16世紀末)頃と推定されています。
       このうち太鼓櫓は17世紀初期に改修されたものの、3棟とも江戸時代を通じて、二の丸の馬出機能
       を確保する建物として存在していました。
       その後、平櫓及び多聞櫓西半分(平櫓側)は明治初期に取り壊され、残った太鼓櫓や多聞櫓東半分
       についても昭和20年8月6日の原爆被爆によって倒壊炎上しました。
       この建物は、平成元年の広島城築城四百年を記念して、発掘調査や昭和初期に当時の陸軍築城
       本部が作成した実測数値、明治から昭和にかけての写真等をもとに、復元に着手し、平成6年8月
       に完成したものです。

    * (太鼓櫓)・・・(多聞櫓・平櫓)

                    


  ● 広島護国神社
        当社は明治元年、藩主 朝命を奉じ戊辰の役の陣没者78柱の御霊を二葉の里に奉祀した水草霊
        社に起源します。
        明治8年、官祭招魂社に列せられ、同34年広島招魂社と改称されました。
        昭和9年秋、当時の西練兵場の西端に社地を遷し新社殿が造営されました。
        昭和14年、広島護国神社と改称されましたが、20年8月6日、原子爆弾の災禍により社殿悉く灰燼
        に帰しました。
        その後、同所に小祠を建てて祭祀が続けられたが神社復興の気運が高まり、復興奉賛会が結成
        され多くの県民の浄財により、昭和31年11月現在の広島城跡に荘厳なる社殿が造営されました。
        昭和46年、昭和天皇 香淳皇后御親拝の栄に浴するやその御聖徳により社頭は隆盛を極めました
        平成5年4月、御大典記念事業として本殿・幣殿・拝殿の御社殿が竣功しました。
        平成21年7月、御創建130年記念事業として全ての社頭整備事業が竣功しました。
        御祭神は、戊辰の役より大東亜戦争に至る戦歿者及び公務原爆死歿者を祀っています。

                          


  ● 山城のしかけの名前と機能
      堀切(ほりきり)・・郭をしきって、敵兵を進ませにくくするために掘り込まれた大きな溝。
      竪掘(たてぼり)・・敵兵の横への移動を防ぐために掘られた縦型の溝。
      畝状竪掘(うねじょうたてぼり)・・畝状に連続した竪掘。
      空掘(からぼり)・・敵兵を進みにくくするために掘られた溝。水の入っていない溝のこと。
      郭(くるわ)・・建物を建てるために平にした面。
      虎口(こぐち)・・城の要所部の出入り口。
      枡形(ますがた)・・城や館への出入り口の一つ。出入り口を屈曲させ、防御と攻撃をかねあわせた。
      土橋(どばし)・・堀の一部をほりのこして、郭と郭の間の通路としたもの。堀の中での敵兵の移動も防ぐ
      切岸(きりぎし)・・敵兵が登れないように、急角度に削った崖のような斜面。
      櫓台(やぐらだい)・・高いところから城の周りを見張るためにつくられた建築物の土台。
      帯郭(おびくるわ)・・主な郭や郭郡全体を一段低く囲む細長い郭。城全体の防御ラインとも考えられる。

     ● 案内コース
          (1) 二の丸表御門−→二の丸跡−→平櫓−→渡櫓

          (2) 多聞櫓−→太鼓櫓

          (3) 被爆樹木/ユーカリ−→被爆樹木/マルバヤナギ−→中御門跡−→

                                  −→中国軍管区司令部原爆慰霊碑−→本丸下段
          (4) 広島護国神社

          (5) 大本営前庭築山−→桜の池跡−→被爆樹木/クロガネモチ−→

                                 −→広島大本営跡−→旧天守閣の礎石−→天守閣

          (6) 東小天守跡−→昭憲皇太后御座所跡−→堀の内側を石垣をみながら−→裏御門跡


   ● 昭和4年3月国宝保存法が施行されてから昭和20年までに、全国で22城が国宝に指定されました。
      しかし第二次世界大戦で名古屋城、大垣城、和歌山城、岡山城、福山城、広島城の6城は天守を失い、
      松前城は火災を受けました。
      現在文化財保護法による国宝や重要文化財の天守は、わずか12城です。
       「国宝」   松本城・・犬山城・・彦根城・・姫路城
       「重要文化財」 弘前城・・丸岡城・松江城・・備中松山城・・丸亀城・・松山城・・宇和島城・・高知城


     ● 天守閣開館時間 午前9時〜午後6時(12月〜2月は午後5時まで)

     ● 休館日  年末(12月29日〜12月31日) 臨時に休館する場合もあります

     ● 観覧料  大人・・370円 高校生・65歳以上の方・・180円  中学生以下・・無料

     ● アクセス
         徒歩・・徒歩25分

         JR・・・広島駅から約1.9km
               新白島駅から裏御門経由で徒歩約17分

         バス・・合同庁舎前バス停から徒歩約8分/広島バスセンターから徒歩約12分

         市内電車・・紙屋町東・西電停から北へ徒歩約15分

         車利用の場合  山陽自動車道 広島ICから約20分
                 城跡内には駐車場がありません。周辺の一般駐車場をご利用ください。

     ● 近くに 縮景園  広島東照宮 があります。


                 


                            (広島城HPを参考にしました)


                         (画像をクリックすると、大きくなります)


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