夕照庵そばからのパノラマ 銀河渓からのパノラマ1 |
(2)夕照庵→白龍泉 |
(4)看花榻→迎暉峰 |
● 名勝 縮景園 縮景園は元和6年(1620年)広島藩主浅野長晟(ながあきら)が別邸として築いた廻遊式庭園である。 作庭者は茶人としても知られていた家老上田宗箇であるが後の天明の頃(1783〜88年)藩主重晟が 時代の趣好に合うよう京都から名工を招いて修造させ、ほぼ今日の規模となった。 園の広さは約四万平方米、景観はどこから眺めてもよく中国坑州の西湖に似ているという。 幾多の景勝を縮めて表現している点に本園最大の特色がある。 そのため縮景園の称が生じたと云われ、古くは御泉水又は泉邸とも呼ばれていた。 中央の大きな池は濯纓池(たくえいち)、中心をつらぬく石橋は跨虹橋(ここうきょう)といい自然と人工 の美の対照を示している。 その左右には十余の島々が浮かび周囲にはかずかずの山渓、橋、樹林、田圃がたくみに配置され、 それぞれ雅名が付けられている。 日清戦争のとき大本営副営となったことがある。 昭和15年、浅野家から広島県に寄附され同年、国の名勝に指定された。 昭和20年8月6日、原子爆弾の投下により壊滅状態となったが、広島県では鋭意復旧整備につとめ 多くの方々から名勝庭園として親しまれ、今日に至っている。 昭和60年8月 広島県教育委員 ● 縮景園(爆心地から約1.22〜1.46キロメートル) この庭園は、1620(元和6)年、広島藩主浅野家の家老上田宗箇により藩主の別邸として設けられま した。 戦前は市民に「泉邸」の名称で親しまれていましたが、人類史上最初の原爆投下により、このように 無残な姿となりました。 被爆直後、数多くの被災者がここに避難してきましたが、治療もほとんど受けることができないまま 息絶え、その遺体は園内に埋葬されました。 (縮景園の惨状 1945/昭和20年9月 松本栄一氏撮影) ● 案内コース (1) 入園券売場−→売店「泉水亭」−→清風館−→濯纓池・跨虹橋−→木橋/流川−→ −→楊貴妃型石灯籠−→観瀾橋−→超然居−→萬歳手水鉢−→陰陽石−→洗心橋 (2) 夕照庵−→調馬場跡−→梅林−→古松渓−→積翠巌−→白龍泉 (3) 明月亭−→京橋川方面−→御腰掛なば石−→休憩所 −→原爆慰霊碑−→祺福山−→跨虹橋−→島嶼−→悠々亭 (4) 霊迹壇−→香菜圃−→看花榻−→大銀杏−→臨えい岡−→ −→有年場−→銀河渓−→大ソテツ−→清風池−→迎暉峰−→薬草園 ● 開園時間 4月1日〜9月30日 9時〜18時 10月1日〜3月31日 9時〜17時 入園は閉園30分前まで ● 休館日 年末(12月29日〜12月31日) ● 観覧料 大人・・260円 高・大学生・・150円 小・中学生・・100円 ● アクセス 徒歩・・徒歩25分 JR・・・広島駅から約0.9km バス・市内電車・・・「縮景園前」下車 車利用の場合 山陽自動車道 広島ICから約20分 駐車料金 1時間まで310円 以降30分ごとに160円加算 ● 近くに 広島城 広島東照宮 があります。 (縮景園HPを参考にしました) (画像をクリックすると、大きくなります) ● (ホームへ) ● |