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<< 明月亭−→京橋川方面−→御腰掛なば石−→休憩所 −→原爆慰霊碑−→祺福山−→跨虹橋−→島嶼−→悠々亭 >> ● 明月亭(めいげつてい) 庭園にふさわしい数寄屋造りで屋根は茅葺き、ひさしは柿葺きです。 周囲の景色のよい山の上にあり、月を観賞する場所であり、明月亭と名づけられたものです。 面積は、約43平方メートルで、昭和49年(1974)に復元されました。 ● 京橋川方面に下ってみます。 ● 明月亭まで戻り、白龍泉そばを下ります。 ● 御腰掛なば石(おんこしかけなばいし) 茸(きのこ/中国・九州地方では「なば」という)に似た自然石を腰掛石としたもので、江戸時代に土 佐国(高知県)から持ち帰ったものと伝えられています。 ● 休憩所があり濯纓池がよくみえます。 ● 原爆慰霊碑へ向かいます。 ● 原爆慰霊碑 一枚の写真を手がかりに、昭和62年(1987)7月31日この地に埋葬されていた原爆死没者の御遺 体を発見、64体の御遺骨を発掘しました。 御遺骨は同年8月6日平和記念公園内の原爆供養塔に納骨されました。 毎年、慰霊祭を開催しています。 ● 再び下り濯纓池そばへ。 ● 祺福山(きふくざん) 正徳3年(1713)5代藩主 浅野吉長(あさのよしなが)は稲荷神社を建立し、広島藩内の平穏無事と 子孫繁栄を祈願したと伝えられています。 昭和20年(1945)の原子爆弾により焼失し現在は饒津神社(にぎつじんじゃ)内に復元されています。 これは稲荷神社ではありません。 稲荷神社形の夜間照明機器です。 ● 跨虹橋へ。 ● 島嶼(とうしょ) 濯纓池(たくえいち)には大小14個の島が浮かんでいます。 島は、長寿を祈願するための鶴と亀をかたどっています。 鶴をかたどった島は、跨虹橋(ここうきょう)を挟み、東西一島ずつ配置されています。 その石組は頭部が長く、手の部分が平立石となっています。 ● 悠々亭方面へ。 ● 悠々亭(ゆうゆうてい) 天明の大改修時に清水七郎右衛門(しみずしちろうえもん)の指示により、建て方も場所も変えてこ の場所に移されたものです。 茅葺屋根の四阿です。 昭和44年(1969)に復元されました。 (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |