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● 天守六階 天守六階は周囲に3尺(90cm)通りの入側が巡る3間の一部屋となっている。 無目敷居が回っているので、畳を敷くことも可能である(階段を除き京間16畳となる)。 有事には最高幹部の司令塔(城主の座所)となるところである。 六階の床面は地上22.1m、堀水面上23.9mあり、東は山辺谷から美ケ原高原、南は松本市街の中心 部と塩尻・木曽方面、西は安曇平が広がり、その向うに北アルプス(乗鞍岳・槍ヶ岳・常念岳・燕岳な ど)、北は信州大学・重文開智学校から放光寺・城山方面が一望できる。 寄贈 松本城ロータリークラブ *東方面(思い出の丘・袴越山・武石峰・王ケ鼻・三城・茶臼山・・・・) *南方面(高ボッチ・東山・塩尻峠・善知峠・中央アルプス・・・・) *西方面(乗鞍岳・黒沢山・大滝山・鍋冠山・蝶ケ岳・槍ケ岳・ 常念岳・横通岳・東天井岳・大天井岳・燕岳・有明山・・・・) *北方面(旧開智学校・・・・) * (建言書・懇願書) ● 国宝指定書(建第40号) 松本城天守 五棟 天守・・五重六階 本瓦葺 乾小天守・・三重四階 本瓦葺 渡櫓・・二重二階 本瓦葺 辰巳櫓・・二重二階 本瓦葺 月見櫓・・一重 地下一階附 本瓦葺 右を国宝に指定する 昭和27年3月29日 文化財保護委員会 ● 守護神二十六夜社勧請の謂れ 天守六階小屋梁の上に二十六夜社を勧請したのは元和4(1618)年である。 其の年の正月、月令二十六夜の月が東の空に昇る頃二十六夜様が、天守番の藩士、川井八郎三 郎の前に美婦となって現われ神告があった。 「天守の梁の上に吾を奉祀して毎月二十六日には三石三斗三升三合三勺の餅を搗いて斎き、藩士 全部にそれを分ち与えよ、さすれば御城は安泰に御勝手向きは豊なるぞ」。 翌朝このことを藩主に言上し、翌二月二十六日に社を勧請し、以来明治維新に至るまで其のお告げ を実行してきた。 お陰で松本城天守は多くの危難をのり超えて無事今日に至っている。 * (国宝指定書(建第40号))・・・(守護神二十六夜社勧請の謂れ) (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |