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<< 大門−→庫裏−→大玄関−→石碑(明治天皇妙法院行在所)−→ −→休憩所−→車両口−→事務所 >> ● 大門 大門を入ると、正面に庫裏があります。 * (右画像は、境内から) ● 庫裏 (くり 桃山時代 国宝) 「庫裏」は台所、あるいは日常的な居住施設を指します。 吹き抜けのこの大建築は、天下統一のモニュメントとして豊臣秀吉が建立した大仏殿方広寺落慶の 際、市中八宗の僧を召集し「千僧供養」を行った時の遺構で、文禄4年(1595)の建立とされます。 代表的な桃山建築で、梁間十三間、桁行十二間、棟高六十尺の本瓦葺入母屋造り、妻飾りの巨大 懸魚や、台所でありながら唐破風の玄関を持つなど特別なだったことを伺わせます。 その内部は自然木の梁が豪快に走り、棟まで立ちのぼる束と貫の交錯する小屋組は圧倒的な力強 さで見る者を魅了します。 正面の円額「得此生」は、中国東晋、陶淵明の詩句で、第37世尭恭法親王の書と伝えられます。 *庫裏の東隣には大書院、護摩堂などの諸堂が南庭を囲むように建ち並び、それぞれ渡廊下によって 接続されています。 *大書院 (江戸時代 重要文化財) 四ツ目の平面を構成し、南側に広縁を付けて、その前方に庭園を造築する邸宅建築の典型 的なスタイルを示す桃山式書院です。 柿葺入母屋造りで、公的な対面所・黒書院として用いられました。 三十八面に及ぶ障壁画は狩野派による濃彩画で、一之間「唐美人画」では人物も諸景物も 鷹揚優美、二之間の「四季花鳥図」も簡潔鮮明な描写がきわだち、いずれも桃山期の特徴 を示しており、狩野光信作と推定されています。 また、南庭は江戸中期以降の作庭といわれ、瓢型の池に架かる石橋は「楠の化石」と伝え て、伏見城の内庭を縮写したものとされます。 *不動明王立像 (平安時代 重要文化財) 護摩堂の本尊で宗内最古の不動尊像と言われ、貞観9年(867)頃の制作と推定されます。 その尊容が、下半身にまとう裳裾(もすそ)から露出する両膝、左足のかかとを浮かせて歩 み出す動勢など特徴的です。 もとは平安末に比叡山上に建立された常住金剛院領と伝え、代々、その検校職を預かった 当院に、江戸期に移管、脇侍や火焔光背が後補され、三尊像として奉祠されています。 * (大書院/襖絵 パンフレットより)・・・(護摩堂/不動明王立像 パンフレットより) ● 大玄関 (江戸時代 重要文化財) この建物は、元和6(1620)年、東福門院和子(後水尾天皇中宮)入内時に京都御所に造営された殿 舎(一部)を移築されたものです。 二つの「車寄せ」を持ち、来賓を迎える玄関として用いられています。 三室二十面にわたる松樹の障壁画は、桃山気風にあふれた狩野派の典型的作品で、建物と共に 重要文化財に指定されています。 その画法から二種が認められ、豪快で重厚な永徳様に、女性的で温雅な光信様が混在するのです。 これらは移築の際に他の殿舎から転用されたものと推測されています。 * 石碑 (明治天皇妙法院行在所) 碑にあるように明治天皇の二度にわたる駐輦があり、平成22年3月には天皇皇后両陛下の行幸 啓がなされました。 ● 休憩所 (大門入って右側) ● 車両口 (事務所近く) ● 事務所 (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |