(4)小・大天守閣地階

                       


                          (名古屋城HPからお借りしました)

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  ● 本丸御殿を出て、天守閣方面へ。

                  


  ● 小天守閣地階の入口へ

                  


                  


                         



                  


  ● 小天守閣地階を出ると、大天守閣が間近に見えます。

                          


                  


  ● 大天守閣地階に入って行きます。

                  


                          


   ● 金鯱
       鯱とは空想上のいきもので、火除けの意味を持つとも言われます。
       名古屋城大天守の屋根に輝いていた初代の鯱は、慶長17年(1612)の生まれ。
       慶長大判にして1940枚の金が使われたと伝えられています。今の感覚なら10億円とも20億円とも
       初代の鯱は、昭和20年(1945)の天守の炎上とともに焼失してしまいました。
       昭和34年(1959)に再建されたここ天守閣の屋根には、二代目鯱が輝いています。
       この鯱は、昭和34年、屋根の鯱と同じ大きさで作られた石膏模型です。
       金も残念ながら本物ではありません。 なお天守閣5階では、座れる鯱が皆様をお待ちしています。

                         


  ● 黄金水井戸枠 模型
       大天守の地階東隅には、非常時の備えとして井戸が掘られ、底は純金と伝えられています。
       昭和20年(1945)の空襲により井戸枠も焼失しましたが、昭和34年(1959)、天守閣再建にともない井
       戸穴が調査され、井戸底は地階床から20メートル下にあり金ではなく石が詰められていたことが明
       らかになりました。
       井戸穴は調査後埋め戻され、今見ることはできません。
       この井戸枠は、戦災焼失前の写真類をもとに復元したものです。

              


  ● 黄金水井戸 木枠
       大天守閣の東北角にあった井戸の模型。
       黄金水と呼ばれ、底に純金が敷き詰められていたといわれています。
       井戸底は、現在地、すなわち再建天守閣の地階床面から約20メートル下にある。
       昭和35年の天守閣再建工事にあたり井戸底も調査されました。
       長径約3メートルの底面に小石が約1メートルの厚さで詰め込まれていましたが金は存在しなかった
       そうです。

       この井戸は慶長15年築城の時、加藤肥後守清正の嘱望によって御用水として掘られましたが、その
       井戸水が大変濁っていたので清くなるようにと祈祷師によって祈願をしましたが、効験がないため清
       正は自ら天地に誓って数多くの黄金を水底に敷いた処たちまち清水とかわり見る人大いに驚き、そ
       の後この井戸を黄金井戸又は黄金水とも呼ぶようになりました。
       この枠は今度の再建の時にこの黄金井戸の水底より発見された玉子形桶輪の囲です。

              



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                               ● (入口へ) ●



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