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<< 天守閣1階 >> ● 階段を登り1階へ。(名古屋城本丸御殿障壁画 木子コレクション 本丸御殿模型) ● 名古屋城本丸御殿障壁画(重要文化財) 本丸御殿は、尾張藩初代藩主徳川義直の住まいとして、徳川家康の命により慶長20年(1615)に完 成しました。 玄関の間や公式な謁見の場である表書院、内向けのもてなしの場である対面所などをそなえた広 大な御殿であり、それぞれの部屋の襖には絵が描かれ、壁にも絵が張り込まれていました。 これら襖絵や壁貼付絵は狩野派により描かれたもので、御殿障壁画の代表として知られていました 昭和20年5月の大空襲により本丸御殿は炎上し壁貼付絵の焼失してしまいましたが、襖絵は直前に 取りはずされ城内の乃木倉庫に疎開されていたため、焼失はまぬがれました。 戦災に耐えた貴重な絵画1047面は、国民の宝として重要文化財に指定され順次修理されています ● 花卉図襖絵(重要文化財) 本丸御殿上御膳所上段之間南側 寛永11年(1634) 名古屋城蔵 寛永11年、京都上洛の途中の三代将軍家光が名古屋城を訪れました。 将軍の宿所となった本丸御殿は、改築され、すみずみまで華麗な障壁画で飾られました。 本作品は、将軍の食膳を盛りつける部屋にはめられていた襖。 ● 名古屋城本丸御殿の天井画 本丸御殿のうち、将軍を迎える建物であった上洛殿には、花鳥や山水を描く絵が天井までぎっしり とはめこまれていました。 これら天井画は、第二次世界大戦末期、襖絵とともに取りはずされ疎開されたため、焼失を免れま した。 現在、計700面の天井板絵が重要文化財に指定され、保存されています。 筆者は、上洛殿の襖絵と同じ狩野探幽一門。 達者な画家、若そうな画家などの区別もでき、楽しく、また全国的にも例のないきわめて貴重な作 品群となっています。 ● 枇杷図(重要文化財) 本丸御殿御湯殿書院上段之間 天井板絵 寛永11年(1634) 名古屋城蔵 ● 菊図(重要文化財) 本丸御殿御湯殿書院上段之間 天井板絵 寛永11年(1634) 名古屋城蔵 ● 紫陽花図(重要文化財) 本丸御殿御湯殿書院上段之間 天井板絵 寛永11年(1634) 名古屋城蔵 ● 波図(重要文化財) 本丸御殿御湯殿書院上段之間 天井板絵 寛永11年(1634) 名古屋城蔵 ● 名刀展−尾張に伝わる刀剣− 平成27年(2015)3月21日(土・祝)〜5月10日(日) 日本刀は武器であると同時に、世界に比類なき美術品でもあり長く後世に伝えるべき文化遺産です 日本には数多くの伝統的な武器、武具が存在します。 その中でも刀は特別視、神格化され、長く日本人の精神的支柱ともなってきました。 日本刀について、より多くの方に理解していただくため、このたび日本美術刀剣保存協会名古屋支 部と名古屋城の共催により、本展を開催いたしました。 今回は「尾張に伝わる刀剣」をテーマに、10点の刀剣と拵(こしらえ)を紹介いたします。 すべてこの地方で保存されている優品ばかりですが、その産地は尾張のみならず、美濃・京都・岡 山・東北・九州など多岐にわたります。 さまざまな刀工・産地・形態の刀剣が集まっています。 この展示が、日本刀の歴史的、文化史的価値を再認識していただく機会になれば幸いです。 日本美術刀剣保存協会名古屋支部 名古屋城総合事務所 ● 鯱(しゃち) 江戸幕府御鋳物師渡辺正俊・正次親子が、万治3年(1660)に青銅で鋳造した鯱。 江戸城の建物に飾られていましたが、明治43年(1910)、旧江戸城の蓮池御門が名古屋城の正面と して移築されたとき、同時に運ばれ、隅櫓の鯱として用いられました。 近年の修理でとりはずされました。 ● こけら葺参考模型 現在復元工事中の名古屋城本丸御殿の屋根は、こけら(柿)で葺かれています。 こけら葺きとは、薄い板を何枚も重ねて打ちつけ屋根にする手法で、瓦葺にくらべて軽く、板葺にくら べ自由な意匠が可能です。 美しい曲線を描く本丸御殿玄関車寄の屋根には、こけら葺の特色が発揮されています。 この模型は、本丸御殿の復元推進のため、平成18年(2006)に中津川市の皆様からご寄贈いただい たものです。 中津川市には、名古屋城はじめ尾張藩の作事に材木を供給してきた長い歴史があり復元本丸御殿 にも中津川市の大木が使われています。 現在、中津川市と名古屋市はふれあい協定を締結し、とくに平成20年(2008)から、「平成の名古屋 市民の森づくり」として中津川市の加子母の森に植樹を行っています。 中津川市の皆様のご協力に改めて御礼申し上げ、中津川市と名古屋市の交流のより一層の進展を 祈念いたします。 ● 名古屋城天守模型 平成23年(2011) 縮尺60分の1 中部大学名誉教授 片岡靖夫氏 寄贈 平成23年度中部大学工学部建築学科片山靖夫研究室卒業研究生 川地正数氏・大野葉子氏 制作 伊藤平左エ門建築事務所 望月義伸氏 助言 名古屋城天守は慶長17年(1612)に完成し、昭和20年(1945)の空襲で焼失。 この模型は名古屋城天守(木造)の構造を再現したもので、平成24年(2012)に行われた「名古屋城 の将来を語る市民大討論会」で展示されました。 なお軒と破風については略表現となっています。 ● 名古屋城本丸御殿上洛殿模型 縮尺 8分の1 平成21年(2009)、名古屋城では本丸御殿の復元工事が始まりました。 工事開始にあたり、地元の職人の方々のご協力により、本丸御殿の中でも最高の格式を誇る部屋 である上洛殿上段の間の8分の1模型が制作されました。 制作には昭和実測図や古写真を参考にし、史実に忠実な模型をめざしました。 本丸御殿復元工事は入口部分から進められ、平成25年5月、玄関・表書院部分の公開が始まりま した。 この模型に示された優れた職人の技が、復元本丸御殿では存分に発揮されています。 模型制作にご尽力くださいました関係者の方々に御礼申し上げるとともに、復元本丸御殿完成への 皆々様の一層のご支援をお願いいたします。 ● 名古屋城 名古屋市 別名/金鯱城 柳城 亀尾城 蓬左城 城の種類 平城 築城者 徳川家康 築城年代 慶長15年(1600) 徳川氏 61万石 ● 本丸御殿(模型)縮尺 20分の1 昭和7年(1932)に行われた実測調査等をもとに、昭和戦前期の姿を復元した模型です。 現在復元工事が進められている本丸御殿は、寛永11年(1634)に3代将軍・徳川家光宿泊するに当 たって、大改修された時の姿です。 当時は屋根が柿葺き(こけらぶき)でしたが、後に瓦葺き(一部銅板葺き)に改められました。 本丸御殿の屋根は、当初は柿葺き(こけらぶき)だったが、享保13年(1728)に玄関、表書院、対面所 上洛殿などが瓦葺きに改められました。 さらに幕末期に玄関の車寄部分が銅瓦葺きに、明治30年(1897)に車寄、上洛殿が 銅板葺きに改 めれました。 現在、復元中の本丸御殿の屋根は、柿葺きの姿を再現しています。 (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |