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<< (21)菅の船頭小屋−→菅の道標−→(23)菅原家住宅−→奥門−→券売所 >> ● (21)菅の船頭小屋(すげのせんどうごや) 指定区分:川崎市重要歴史記念物 旧所在地:神奈川県川崎市多摩区菅 建物区分:船頭小屋 構造形式:切妻造、杉皮葺、桁行1.8m、梁行1.8m 建築年代:昭和4年(1929) 多摩川の「菅の渡し」は、菅(すげ、川崎市多摩区)と調布市(東京都調布市)を結ぶ渡船場(とせ んば)でした。 作物の運搬、肥料や日用品の仕入れ、墓参りなどを行う人々に利用され、船頭が客待ちをした のがこの小屋です。 建物は、玉石(たまいし)の上へ井桁状(いげたじょう)に土台を組み、その上に柱を立てた一間 四方の小規模なものです。 背面の板壁には小さな窓があり、対岸の客を見ることができるようになっていました。 外まわりの柱には、大きな鉄の輪が取り付けてあります。 これは丸太を通して担ぐためのもので、出水の際には小屋ごと移動させました。 ● 菅の道標 旧所在地 右側 川崎市多摩区菅芝間 左側 川崎市多摩区菅・野戸呂 ともに菅の渡しで結ばれる多摩川両岸の地域を表示する。 近代に入ってから造立の道標 ● (23)菅原家住宅(すがわらけじゅうたく) 出羽三山に抱かれた豪雪地帯の家 指定区分:神奈川県指定重要文化財 旧所在地:山形県鶴岡市松沢 建物区分:農家(肝煎の家) 構造形式:寄棟造(高ハッポウおよびハッポウ付き)、妻入、 一部二階、背面庇付、茅葺、桁行15.8m、梁行9.6m 建築年代:18世紀末期 湯殿山麓の田麦俣(たむぎまた)集落や大鳥川流域には、「ハッポウ造」と呼ばれる民家が分 布しています。 これは養蚕のために二層三層をつくり、屋根に高窓(ハッポウ)や切上窓(高ハッポウ)を設け たものです。 この建物には豪雪地帯の工夫がうかがえます。 高い軒や周囲の板壁、入口のアマヤ(前室)、ニワ(土間)に設けられたイナベヤ(板敷)やモノ オキは、いずれも冬場の暮らしを考慮したものです。 カミデは正式な座敷で、アミダサマと呼ぶ小部屋が設けられています。 シモデは百万遍念仏(ひゃくまんべんねんぶつ、祈祷、追善のために大きな数珠を大勢でま わす)にも使われました。 二階は蚕室(さんしつ、蚕を飼う部屋)として使われました。 アマヤの中二階は高ハッポウ部分に当たります。 豪雪時にここから出入りする家もあったそうです。 ○ 入口を入ると にわ(土間)です。 ○ あまや・・外衣(雨具)などを脱ぐ所 道具などの置き場 ○ うまや・・馬を飼う所 ○ ものおき ○ しもで ○ おめえ・・食事の準備・食事をする ○ とい 菅原家とその周辺の家では、クリの木でトイをつくり、家のなかに水を引いていました。 トイはナガシの壁を突き抜けて、家の外にあるホリ(池のこと)につながっており、きれいな清水が ナガシに24時間いきおいよく注ぎこんでいました。 ○ ながし・・食事の準備・後始末をする。 ○ うーへや・・家族の寝室・物置 ○ かみでい・・客をもてなす・神事・仏事をする。 ○ あみださま・・仏壇・仏具入れ ● 奥門を入り、階段をのぼると「券売所」があります。 (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |