「12」(17)伊藤家→(18)蚕影山祠堂→(19)岩澤家

                   


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   ● (17)伊藤家住宅(いとうけじゅうたく)  民家園誕生のきっかけとなった川崎の民家
         指定区分:国指定重要文化財
         旧所在地:神奈川県川崎市麻生区金程
         建物区分:農家(名主の家)
         構造形式:入母屋造、茅葺、桁行16.4m、梁行9.1m
         建築年代:17世紀末期〜18世紀初期
            民家園誕生のきっかけとなった川崎の民家です。
            土間(どま)はミソベヤとダイドコロに分かれています。
            ヒロマ境の一番奥は板の間を張り出して炊事場(すいじば)とし、「すわり流し」 と水がめが置か
            れています。
            ヒロマは家の中心となる部屋で、囲炉裏(いろり)の後方は台所、前方は日常生活や接客の場
            として使われました。 ここは竹簀子でできた床です。
            ヒロマの上手にはデイ(座敷)とヘヤ(寝室)が続きます。
            デイは正式な座敷で、出入りには土庇(どびさし)に置いた縁台(えんだい)を使いました。
            なお、正面の格子窓(こうしまど)は「シシよけ窓」などと呼ばれ、関東の古民家に一般的なもの
            です。

                



                      


     ○ 入口を入ります。

                          


     ○ みそべや(味噌部屋・・ミソ・ショウユを貯える所)

                          


     ○ どま(台所)

                  


     ○ ひろま(広間・・食事をする。.屋内作業をする)

                  


                          


     ○ でい・・客をもてなす。

                  




   ● 手洗石   元治2年
        旧所在地 川崎市麻生区岡上東光院境内
        養蚕が盛んだった頃、「女人講中」によって奉納された

                          




   ● (18)蚕影山祠堂(こかげさんしどう)   養蚕信仰を今に伝えるお堂
         指定区分:川崎市重要歴史記念物
         旧所在地:神奈川県川崎市麻生区岡上 東光院内
         建物区分:宮殿および覆堂
         構造形式:宮殿=一間社春日造、向唐破風造、こけら葺
                覆堂=正面入母屋造、背面寄棟造、茅葺、桁行4.6m、梁行2.7m
         建築年代:文久三年(1863)、宮殿棟札
            この建物は川崎市麻生区の東光院境内にあったもので、養蚕(ようさん)の神「蚕影山大権現
            (こかげさんだいごんげん)」を祭った宮殿(くうでん)と、その覆堂(さやどう)から成っています。
            覆堂の茅葺(かやぶき)屋根は、頂上を土と草で固める芝棟(しばむね)で、春にはイチハツが
            咲き誇ります。
            宮殿は正面に唐破風(からはふ)を設けた春日造風の社で、浮き彫りの彫刻を施しているの
            が特徴です。
            中でも注目に値するのは、金色姫(こんじきひめ)伝説を表現した側面の彫刻です。
            金色姫は天竺(てんじく、現在のインド)に生まれ、四度の大苦難ののち、馬鳴菩薩(めみょう
            ぼさつ)の化身として日本に養蚕を伝えたといいます。
            この 彫刻は養蚕の起源を説くもので、四度の大苦難は蚕の四回の休眠(食事をせず動かな
            くなる脱皮前の時期)を象徴しています。

               


            



   ● (19)岩澤家住宅(いわさわけじゅうたく)    茶畑に囲まれた山間の農家
         指定区分:神奈川県指定重要文化財
         旧所在地:神奈川県愛甲郡清川村煤ヶ谷
         建物区分:農家(名主の家)
         構造形式:入母屋造、茅葺、桁行14.5m、梁行7.3m
         建築年代:17世紀末期
            この建物は、名主(なぬし)もつとめた農家の家でした。
            谷間の斜面に敷地をひらき、江戸時代は炭焼きを中心に、焼畑(やきはた)農業や林業を仕事
            にしていました。
            屋根は、典型的な入母屋造(いりもやづくり)です。
            間取りは、「ザシキ(居間)」「デエ(座敷)」「ヘヤ(寝室)」からなる広間型三間取りです。
            しかし、園内に移築された他の神奈川県内の古民家には見られない特徴がいくつかあります。
            まず、デエの正面を半間後退させ、ここにザシキへの出入口を設けています。
            また、デエには押板(おしいた、床の間の前身)を備え、ヘヤにはザシキからだけでなくデエから
            も出入りできるようになっています。
        (今回は、見学できませんでした。)


                      



                    
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