(1)御仮殿→五重塔

                             


                       (画像をクリックすると、大きくなります)


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  ● 石鳥居へ向かいます。

    * (右画像/社号標)

                      


    * (日光記念切手館)・・・(ここは標高634m 東京スカイツリーと同じ高さです)

                      


  ● 「社号標」手前を右折すると、「新宝物館」が新築しています。(2015.03.14 開館)
       正式名称は「400年式年大祭記念 日光東照宮宝物館」。
       開館記念展として「四百年式年大祭記念 徳川家康公と日光東照宮」を開催します。

                  


  ● 新宝物館のそばに「武徳殿」があります。
       「日光東照宮道場」の稽古場で「日光剣道大会」の会場でもあり、国の登録有形文化財に登録されて
       います。

                  


                          


  ● 再び、石鳥居へ向かいます。

    * (きしの/食事土産屋)

                  


  ● 石鳥居(いしどりい/重要文化財)
       ご鎮座翌年の元和4年(1618)、九州筑前藩主黒田長政公により奉納。
       石材は、九州から船で小山まで運ばれ、その後陸路人力でこの日光まで運ばれました。

                  


  ● 石鳥居の先を右折すると、「鐘舎」がありますが修理中です。

                          


                  


                          


  ● 御仮殿(重要文化財)
       御本社を修理する際に、御祭神をお移ししてお祀りする仮の御殿で、現在の社殿は寛永16年(1639)
       の建立されています。
       仮殿が常設されているのは全国の神社の中でも当宮のみであります。

                  


                  


  ● 表門へ向かうと、右側に「表番所」、左側に「五重塔」にあります。

              


                           (全景はパノラマでご覧ください)

  ● 右側に「表番所」が。

                             


           


  ● 左側に五重塔(ごじゅうのとう/重要文化財)
       慶安3年(1648)若狭の国(福井県)小浜藩主酒井忠勝公によって奉納されました。
       文化12年火災にあいましたが、その後文政元年(1818)に同藩主酒井忠進公によって再建されまし
       た。
       高さは36m。極彩色の日本一華麗な五重塔で、初重軒下には富田宿(現大平町)の名工後藤正秀が
       手がけた十二支の彫刻があります。
       また初重内部にも漆塗り・彩色・漆箔がきらびやかに施され、塔を貫く心柱は事例の少ない懸垂式で
       礎石には捉えられず、四重から吊り下げられて浮いています。
       これは時を経て重みで塔身が縮んだ際にも、心柱が五重の屋根を突き抜けてしまわないように江戸
       時代に考え出された工法です。
       工法が可能であったのは、五重塔の心柱が構造上塔身から独立して、先端の相輪だけを支えてい
       るためですが、一方で、そのように塔身と分離した身柱は、免震の機能を果たすとも考えられてきま
       した。
       東京スカイツリーのデザイン監修者である元東京芸術大学学長澄川喜一氏によれば、この五重塔
       の免震機能はスカイツリーの制振システム(心柱制振)にも応用されたそうです。
       五重塔は地震に強いと言われる通り日光東照宮の五重塔も幾度かの大地震を乗り越えて健在です

                              


                   


    *東側
       辰(龍)・東南東=浪・雲
         龍は「秋分」には渕へ隠れ、「春分」に到れば天へ昇るfると伝えられてある。
         故に此の蟇股の龍は雲を呼んで将に昇天する処で即ち「春の季節」を現したものである。
           (龍は深淵または海中に潜み、時に自由に空中を飛ぶ翔して雲を起こし雨を呼ぶという。
             神秘的な力を有する想像上の動物。)
       卯(兎)・東=浪(波)
         謡曲「竹生島/ちくぶじま」に「月海上に浮かんでは、兎も波を走る」とある。
         「兎も走る浪の上」
         『三河後風土記』などによれば、
            先祖が諸国を流浪中に信州で正月に兎の吸い物を食べ、以後家運が栄えたので「兎の吸い
            物」が徳川家の正月の嘉例となったという。
       寅(虎)・東北東=竹
         「猫でない証拠には竹を書きて置き」と云う川柳がある。
         由来『虎には竹』がつきものである。
         「龍虎」の組み合わせ=強者の双璧とされる。

                    


    *(辰/龍)・・・(卯/兎)・・・(寅/虎) 

                  


    *南側
       未(羊)・南南西=黄蜀葵/とろろあおい
         十二支の羊は、季節に配当すれば晩夏とろろあおいは芙蓉ムクゲなどと同じアオイ科の一年草。
         花期は8月〜9月。(季節の組み合わせとしては矛盾しない)
         山羊の特徴である長い髭がある (図像的に羊との混同がある)
       午(馬)・南=躑躅
         東照宮で明らかにつつじと思われる彫刻は四体しかない。
       巳(蛇)・南南東=牡丹
         中国では牡丹は「百花の王」であり「富貴」のシンボルであった。

                        


    * (未/羊)・・・(午/馬)・・・(巳/蛇)

                  


    *西側
       戌(犬)・西北西=芙蓉
         「四季花鳥図」等では春に牡丹、秋に芙蓉を描くのが通例
              (花期夏〜秋/7月〜9月)
       酉(鶏)・西=菊
         菊は我が国を代表する秋の花。
         中国では延命長寿の仙薬とされていた(生命力の強い植物)
       申(猿)・西南西=栗
         栗は、猿に配されたものが多い。
           (猿は雑食であるが、果物、木の芽などを好む。)
         本地堂は親子の猿が栗を、東回廊は楊梅を食べている。 神厩は、三猿・枇杷。

                        


    * (戌/犬)・・・(酉/鶏)・・・(申/猿)

                  


    *北側
       丑(牛)・北北東=梅
         「梅と松だけ勅許のお宮号」
         (皇族を奉仕齋した神社以外で「宮号」を称するのは「天満宮」と「東照宮」のみ)
       子(鼠)・北=葡萄
         ねずみは大黒様(福の神)のお使いともされてきた。
         東照宮では、この一箇所だけ用いられ、葡萄が配されている。
         (米俵や大根がはいされるケースも多い。多くは栗鼠との組み合わせが一般的で、シルクロードを
         経て伝来したと考えらえる。)
       亥(猪)・北北西=松(大和松)
         一般には繁った松の枝を配する例が多い。 (回廊のものは筍が配されている)
         白楽天の詩に「松柏と亀鶴と其の寿は皆千年」とあるように長寿の木とされ、冬にも常緑ゆえに
         永久不変、節操を象徴するものとして古来尊ばれてきたが、とりわけ江戸時代には徳川の旧姓
         が松平であったことから、将軍家を象徴する樹木ともされた。

                        


    * (丑/牛)・・・(子/鼠)・・・(亥/猪)

                  


    * (東側/北側)・・・(北側/西側)・・・(西側/南側)・・・(南側/東側)

                             


                    



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