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<< 鳥居−→陽明門−→鐘楼−→回転燈籠−→鼓桜−→本地堂(鳴龍)−→廻廊 >> ● 鳥居をくぐり陽明門へ向かいます。 ● 陽明門(ようめいもん 国宝) 平成の大修理の為、見学することが出来ませんでした。 日本を代表する最も美しい門で、宮中正門の名をいただいたと伝えられています。 いつまで見ていても見飽きないところから「日暮の門」ともよばれ、故事逸話や子供の遊び、聖人賢 人など500以上の彫刻がほどこされています。 * (右画像/チケットより) (平成の大修理のため見学することが出来ませんでした) ****************************** 神輿舎の右側の「御神酒所」に展示してありました。 ● 平成の大修理と陽明門修理 極彩色豊かな国宝陽明門は、東照宮の境内社殿群の中でも、最も象徴的な建造物です。 今回の「平成の大修理」により陽明門は、平成25年(2013)6月26日から6ヶ年の修理に入りました。 昭和44年(1969)から4ヶ年をかけて実施された前回の「昭和の大修理」から凡そ40年ぶりの修理に なります。 (江戸時代だけでも19回の修理が行われました。) 漆塗・彩色・飾り金具工事を主体に、屋根から土台に至る精微な彫刻や柱の細部まで念入りに修 復されます。 *第一期 第一次事業 事業期間:平成19年4月1日から平成25年3月31日、6ヶ年度継続。 対象物件:東西透壁(国宝)、正面唐門(国宝)、本殿・石の間・拝殿(国宝)、簓子塀(ささらこ へい/附一重文)、神輿舎(重文) 5棟・6件。 *第一期 第二次事業 事業期間:平成25年4月1日から平成31年3月31日、6ヶ年度継続。 対象物件:御本社(国宝)、陽明門(国宝) *修理作業工程 修理は、調査・記録・見取図作成から始め、その後、金具や古い塗装(漆・彩色)を除いて木 地を調えます。 漆塗りと箔押し、岩絵具による彩色を中心とした三十数工程の作業を経て金具には鍍金を 施し、社殿は輝きを取り戻します。 1調査・記録・・現状を調査し、記録をとり、見取図をつくる 2下地造成(布着せ)・・古い塗装を落としたあとに、木割れを防ぐため、全面に漆で布を貼 りつける 3置上・・絵具で紋様を盛り上げている 4金箔押(漆箔)・・紋様等に金箔を施している 5着彩・・天然の岩絵具などで色をつける 6上塗・・木ベラで漆をくばり、刷毛でならす 7完成 *陽明門の建築装飾 鬼瓦・・・本社に邪気が入るのを防ぐ役割を果たしていると言われています。 勅額・・・後水尾天皇御宸筆によるもので、裏面に「元和3年3月28日」の刻銘があります。 目貫の龍 一木に彫られた龍は、門の中央の重要な場所にあるところから「目貫の龍」と呼ばれています 息 「いき」と読むのか「そく」なのか、またどんな動物なのかも分かっていません。 龍馬(りゅうば) 足の蹄のある龍。陽明門で一番最初に陽が当たる彫刻です。 魔除けの逆柱 紋様を逆にして未完成の部分を残したと言われています。 随身(随神)像 神社の入口の楼門に、守護役として安置されている像です。 狛犬 獅子や犬に似た想像上の生き物で、神社を守るものとして、入口や本殿の左右に一対で置かれています。 ****************************** ● 陽明門右側に「鐘楼」が。 * (鐘楼) ● 回転燈籠 1624年オランダ東インド会社から献上の九角形の回転灯篭です。 三つ葉の葵の御紋が逆さまに制作されているため「逆紋の回転灯篭」と呼ばれています。 オランダ人の制作のためお咎めがなかったそうです。 ● 鼓桜(ころう) 櫓造で屋根は入母屋造、裾廻りは袴腰形だそうです。 ● 本地堂 (鳴龍 重要文化財) 寛永12年(1635)に桁行7間、梁間5間、入母屋、銅瓦葺き、平入、3間向拝付き建物です。 祭神の東照大権現(徳川家康の御霊)の本地仏が薬師如来のため、本尊として薬師瑠璃光如来像 が祀られ薬師堂ともいわれます。 天井の狩野派の狩野永真安信が描いた8mの竜の下で手を打つと鳴き竜現象が起こりました。 しかし昭和36年(1961)に火災により焼失し、その後再建され現在の天井画の龍は堅山南風作です ● 廻廊 (国宝) 寛永12年(1636)に建てられたもので陽明門を中心に左右にのび、外壁には我が国最大級の花鳥 の彫刻が飾られ、いずれも一枚板の透かし彫りには、極彩色がほどこされています。 下絵は狩野理右衛門 と伝えられています。 昭和26年(1951)に国宝に指定されています。 (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |