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<< 総門−→御影堂門−→目隠塀−→本願寺のイチョウ−→ −→鐘楼−→飛雲閣−→総合案内所/お茶所−→手水舎 >> ● 総門(重要文化財) 現在地までに三度移築されています。 一度目は蓮如上人450回遠忌の明治31(1898)年。 二度目は親鸞聖人650回大遠忌を控えた明治44(1911)年。 三度目は昭和34(1959)年に堀川通りの拡張が計画され、現在地に移転しました。 虹梁(こうりょう)に大柄な二組の蟇股(かえるまた)を配し、平成23(2011)年に修復されました。 *堀川通(国道1号線)を渡り、御影堂門から振りかえると。 ● 御影堂門(重要文化財) 親鸞聖人600回大遠忌を前に、安政6(1859)年に大阪の講社が担当し修理。 昭和35(1960)年に、親鸞聖人700回大遠忌を前に修理。 平成18(2006)年から平成21(2009)年にかけて、親鸞聖人750回大遠忌を前に、築地塀と併せて石工事 ・屋根工事・金物工事などが実施。 屋根工事では瓦の葺き替えを実施し、再用する旧瓦は南面にまとめられています。 *目隠塀側から ● 目隠塀(めかくしべい/重要文化財) 切妻造、本瓦葺、真壁造の塀で、江戸後期の建築と言われています。 ● 本願寺のイチョウ(京都市指定天然記念物 昭和60(1985)年6月1日指定) このイチョウは、低い位置から各方向に水平枝や斜上枝が伸びており、特徴的な形状です。 これは植栽時から剪定等の行き届いた管理がなされていたためと考えられます。 御影堂が寛永13年(1636)の建立であることから、樹齢は約400年と推定されます。 一般に、イチョウは耐火力の強い樹種ですが、このイチョウの天明8年(1788)や元治元年(1864)の大火 の際に、火の粉を浴びながらも生き抜いてきた木です。 京都市 ● 鐘楼 (重要文化財 初代の鐘は平安時代鋳造) 本願寺内にある国宝・飛雲閣(ひうんかく)のある滴翠園(てきすいえん 庭園)東北隅にある重要文化財 です。 鐘楼内にある梵鐘は寺院のおいて、おつとめがあることを広く伝えるために撞き鳴らされるもので、現 在も法要の始まる1時間前または30分前に撞かれています。 初代の鐘(1150年頃鋳造と伝えられます)は、太秦の広隆寺から1600年頃に譲り受けたとされるもので 口径106cm、高さは158cm、重さは1.8tにもなり、珍しい木の「竜頭/りゅうず」(吊り下げ部分)を持って います。 初代の鐘は、本願寺内の「安穏殿/あんのんでん」玄関横に保存され、現在の梵鐘は平成8年に本願寺 講社連絡会が寄贈した2代目になります。 ● 飛雲飛雲閣(ひうんかく 国宝) 金閣、銀閣とともに「京都三名閣」の一つに数えられる建物です。 秀吉が建てた聚楽第の一部で、三層からなる楼閣(ろうかく)建築です。 建物全体の景観が、左右非対称に配置され、見る位置によってその姿が様々に変化し、見るものを 楽しませてくれます。 (右側の画像はパンフレットから) ● 総合案内所 お茶所(おちゃしょ) 江戸時代以来、泉州攝待講(せんしゅうせったいこう)の皆さんによるお茶の接待を行い参拝者にひと時 の憩いを提供してきた建物です。 情報コーナーや自動販売機、トイレ、喫煙所があります。 ● 手水舎(ちょうずや/重要文化財) 破風板には錺金具を付け、四周を開放し花崗岩の四半敷で中央に石製の井と水盤を据えています。 軸部は方形礎盤に几帳面取角柱を立て、内法虹梁(うちのりこうりょう)で繋ぎ、柱頂部の舟肘木と内 法虹梁上の蟇股(かえるまた)で受け、鏡天井を張っています。 平成22(2010)年に修復されました。 (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |