(画像をクリックすると大きくなります) |
<< 御影堂−→天の邪鬼−→沓石−→阿弥陀堂−→縁側と廊下の埋め木−→渡廊下 >> ● 御影堂(国宝) 名称 本願寺御影堂。 内陣中央の親鸞聖人の御真影(木像)が安置されていることから御影堂と称します。 両脇掛 本願寺歴代宗主の影像 再余間 十字名号(帰命尽十方無碍光如来/きみょうじんじっぽうむげこうにょらい) 九字名号(南無不可思議光如来/なむふかしぎこうにょらい) 再建 1636(寛永13)年 大きさ 奥行き(東西)48m、横(南北)62m、高さ29m 外陣は441枚の畳が敷かれ、1,200名以上が一度に参拝できます。 227本の柱で、約115,000枚の瓦を支える世界最大級の木造建造物です。 *親鸞聖人750回大遠忌法要の記念事業として、1999(平成11)年より10年間の大修復工事を行いま した。 本願寺 (阿弥陀堂側) (龍虎伝側) * 天の邪鬼(あまのじゃく) 愛嬌たっぷり 本願寺の見どころ 本願寺御影堂正面の左右二箇所にある約150cm四方の天水受けを、四方四隅の下で、各4人・計8 人の「天の邪鬼」が支えています。 その天の邪鬼は、身長が約38cmなのに比べて、顔の大きさが縦15cm・横17cmというほぼ二頭身の ずんぐりとした姿が特徴で、膝に手をつく者、胸の前に手を合わせている者など姿はまちまちで愛嬌 たっぷりです。 御影堂が再建された1636(寛永13)年からずっと天水受けを支え続けてきました。 (右側) (左側) * 沓石(くついし 「石」?! 「木」?!) 沓石とは、柱または縁側の束柱(つかばしら)を受けるために用いる「石」で、根石とも柱石とも呼ば れます。 一見すると、本願寺御影堂の沓石は、「石」ではなく「木」ですが、木の隙間から中を覗くと、中身は 石であることがわかります。 もともとざくろの木で造られていた沓石を、江戸時代末期に親鸞聖人600回大遠忌を迎えるにあた って修理が行われた際、木では腐る可能性があると石が用いられました。 その時、昔の面影を残そうと、表面を厚さ3cmの木で覆ったのだと言われています。 ● 阿弥陀堂(国宝 附 渡廊下並びに喚鐘廊下/かんしょうろうか) 名称 本願寺阿弥陀堂。 内陣中央に阿弥陀如来像が安置されていることから阿弥陀堂と称します。 両脇掛 インド、中国、日本において浄土教の教えを受け継いだ七人の高僧のうち、龍樹菩薩(りゅ うじゅ)、天親菩薩(てんじんぼさつ)、曇鸞(どんらんたいし)大師、道綽禅師(どうしゃくぜん じ)、善導大師(ぜんどうだいし)、源信和尚(げんしんかしょう)の六師 両余間 源空(げんくう 法然/ほうねん)聖人の影像 聖徳太子の影像 再 建 1760(宝暦10)年 大きさ 奥行き(東西)42m、横(南北)45m、高さ25m 外陣には285枚の畳が敷かれ、800名以上が一度に参拝することができます。 *第24代即如上人の伝灯奉告法要の記念事業として、1980(昭和55)年より5年間の修復工事を行い ました。 本願寺 * 燈籠(右) * 燈籠(左) (伝道本部側) (御影堂側) ● 渡廊下(国宝 附指定) * 縁側と廊下の埋め木(大工さんの遊び心) 木材の補強・修復や再利用をするために、亀裂や穴を木片で繕うことを「埋め木」と言います。 多くの参拝者が行き交う本願寺の御影堂・阿弥陀堂の縁側や廊下にも「埋め木」が多く見られます。 何気なく歩いていると気づきませんが、じっくり探すと、色々なところに、リスなどの動物、もみじなどの 植物、とっくりや軍配など、様々なモノをかたどった「埋め木」を見つけることができ、単なる補強ではな く、できるだけ工夫を凝らした当時の大工さんの遊び心が伺えます。 また、それだけ御影堂・阿弥陀堂という建物の細部まで大事に思っておられたということではないでしょ うか。 ぜひ、写真の埋め木を探してみてください。 (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |