山頂展望台からのパノラマ(三浦半島方面) 山頂展望台からのパノラマ(岩井海岸方面) |
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● 鋸山 正式な名称は乾坤山(けんこんざん)。 江戸期には谷文晁が”日本名山図会”において”日本80の名山”に数えていました。 しかし深田久弥氏が”日本百名山”を選んだときに選に漏れてしまいました。 小林泰彦選の”日本百低山”には入っています。 千葉県指定の名勝で、十八勝、三十六景など数多くの秘境に富み、三尊来迎の姿といわれる瑠璃、 日輪、月輪三峰の大偉観、東京湾を始め、富士山、三浦半島、伊豆半島から伊豆七島と関東一円を 見渡せる一大パノラマが広がっています。 山は凝灰岩から成り、江戸時代から盛んに採石が行われ、房州石と呼ばれて良質石材の産地でした。 幕末・明治・大正・昭和にかけて、横須賀軍港や横浜の港湾設備、東京湾要塞の資材として利用され、 靖国神社や早稲田大学の構内にも利用されたそうです。 採石は昭和50年代を最後にとだえました。 その結果、露出した山肌の岩が鋸の歯状に見えることからこの名で呼ばれるようになったそうです。 (十州一覧台) (山頂展望台) (富山・岩井海岸方面) (東京湾・三浦半島方面) ● 日本寺 約千三百年前、聖武天皇の勅詔と、光明皇后のおことばを受けて、神亀2年6月8日(西暦725年)、 高僧行基菩薩によって開かれた関東最古の勅願所です。 正しくは乾坤山日本寺と称し、時に帝より国号を冠する”日本寺”の勅額、宸翰ならびに黄金五千貫 を、皇后よりは御手づらの刺繍になる三十三観音の軸物および御戸帳料綾綿十匹を賜りました。 初めは法相宗に属し次いで天台、真言宗を経て徳川三代将軍家光公治世の時、曹洞禅宗となって 今日に及んでいます。 現存の古碑銘にあるように、かつては七堂、十二院、百坊を完備して良弁僧正慈覚大師、弘法大師 などの名僧が訪れ修行した我が国でもまれにみる古道場です。 本尊の薬師瑠璃光如来は日本三薬師の随一として尊敬を集め、江戸時代の最盛期には実に三百万 人講の名をもって東海千五百羅漢彫刻の大工事が行われました。 参道は御影石で2,639段あり、日本で2番目の長さです。 ここにある梵鐘は国の重要文化財に指定されています。 ● アクセス 車の場合 沢山の行き方があります。 無料駐車場迄の行き方を”東口管理所〜山頂コース”で載せていますので参考にしてください。 鋸山登山自動車道を利用すれば簡単に頂上へ登ることができます(有料駐車場) ロープウェーを利用すれば約3分で、頂上近くに着きます。 電車・フェリーの場合 JR内房線 保田駅または浜金谷駅 東京湾フェリー 金谷港 (鋸山案内のページを参考にしました) (山道などが変更されている場合もありますのでご注意ください) (画像をクリックすると、大きくなります) ● (ホームへ) ● |