(2)馬出門→馬屋曲輪

                    


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  ● 馬出門土橋(めがね橋)を渡ります。

     


  ● 馬出門
       馬出門は、三の丸から二の丸に向かう大手筋(正規登城ルート)に位置する門です。
       寛文12年(1672)に枡形形式に改修され、江戸時代末期まで存続しました。
       石垣と土塀で四角く囲んだ枡形と、本柱と控柱を備えた高麗門形式の馬出門・内冠木門の二つの
       門から成ります。

                  


    右側に見えます。

    * (隅櫓)・・・(まなび橋)

                  


                  


                             


    * (馬出門を入り振り向いて)

                          


    * (左画像/馬屋曲輪手前の門)・・・(右画像/馬出門)

                  


   


        


  ● 馬屋曲輪手前の門

                             


    * (馬屋曲輪から振り向いて)

                             


  ● 馬屋曲輪
       城址公園の南側に位置し、三の丸から二の丸に入る大手筋(正式な登城ルート)の重要な曲輪です。
       三の丸から馬出門、お茶壷曲輪からは中仕切門から馬屋曲輪へ入り洞門へと続きます。
       江戸城代では、登城者に対しての番所として機能していたようです。
       馬屋曲輪には大腰掛や馬屋、二重隅櫓などの建物があり、曲輪の外周は土塀と石垣で覆われてい
       ました。
       また内側は馬出門から大腰掛、馬屋、中仕切門と板塀が巡らされていました。

                         


     宮内庁図に描かれた馬屋曲輪
       元禄時代(1700年頃)の小田原城の姿を伝えた絵図です。
       この頃は馬屋曲輪に馬屋と大腰掛の二つの建物と二重櫓が建っていました。
       元禄16年(1703)の元禄地震の際にこれらの建物は焼失してしまい、その後は再建されないまま明
       治時代を迎えたものと考えられています。

                         


   


          


  ● 櫓台

                  


                          


  ● 切石敷井戸
       円礫(安山岩)を積み上げ、上部は溶結凝灰岩(小田原石・水道石・風祭石とも言われる)の切り石で
       外周を円、内周を六角形に配した井戸。

                       


  ● 雁木(がんぎ)
       土塁上へ登るための階段。
       発掘調査で初めて確認され、溶結凝灰岩(小田原石・水道石・風祭石とも言われる)製。
       もともと斜めに設置されていた。

                  

  ● 馬屋跡
       登城者が馬を繋ぐための建物。
       徳川将軍家来城時専用の馬屋と考えられる。
          長さ 21間(約41.37m)   奥行 3間半(約6.895m)

                       


  ● 二の丸観光案内所

                         



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                                ● (入口へ) ●

 

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