(7)廉池軒→茂松庵

              


                         (岡山後楽園HPを参考にしました)

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   ● さざなみ茶屋
        園内順路の中間地点で、広く各景勝が望める建物「廉池軒」の隣に位置しています。
        野点席では、お殿様お気に入りだった同じ景色を眺めながら抹茶などを楽しめます。

                  


   ● 廉池軒(れんちけん)
        戦災をまぬがれた数少ない建物の一つで、池に架かる石橋や対岸の小島なども、往時の姿を今に
        伝えています。
        この建物からは沢の池越しに見える松林や曲水と池の段差など、起伏に富んだ景観を眺めることが
        できます。

                  


                  



                             


   ● 南門を左に見ながら、御舟入跡に向かいます。

                     


                  


                  


   ● 御舟入跡(おふないりあと)
        後楽園は旭川をへだてて岡山城の対岸に位置します。
        江戸時代このくぼみには藩主が舟で訪れた時の舟溜まり、園内側の土手には御成御門(おなりご
        もん)まで続く階段(雁木/がんぎ)がありました。
        江戸時代の後楽園には東西南北jに門が開かれ、城に面した南門が御成御門でした。
        藩主は時と場合に応じてども門からでも出入りしましたが、御成御門は藩主と藩主の特別な許しを
        得た者だけが出入りできた最も格の高い門でした。        
        築庭当時の絵図には御成御門(後の絵図に古御成御門)と御舟入りが描かれていますが、川に面
        した土手を切り開いた形はこの絵図のみの特徴で、御舟入の構造にもいろいろな改修があったこ
        を示しています。
        この後、1800年代初めには御舟入に十分な水が入らなくなったためか御成御門の位置も変わり、
        明治時代には次第に藪に囲まれたようです。
        大正時代に外周に散歩道をつけ、昭和29年(1954年)に月見橋が架橋されて、現在では水が川か
        ら直接入ることはほとんどありません。
        現在は築庭当時の絵図をもとに御舟入跡を発掘したとこと確認できた雁木を展示しています。

                              


                  


   * 御舟入(おふないり)の護岸と雁木(がんぎ)
        この遺構は岡山後楽園史跡整備事業に基づき、平成23年(2011年)に築庭当時の絵図を参考に
        発掘調査したところ絵図とほぼ同じ位置に雁木を発見し、翌年さらに調査区域を広げて遺構ぼ同
        じ位置に雁木を発見し、翌年さらに調査区域を広げて遺構を確認したものです。
        雁木は上2段をのぞいてそのほとんどが残っており、歴代藩主が出入りしていた当時の姿を展示
        しています。
        御舟入と雁木は築庭以来ほぼ同じ位置に伝わってきましたが、記録では改修や浚渫を重ね、ま
        た雁木の石材も上下で違いがあることから幾度かの改修を重ねたものと考えられます。
        雁木は1段目が間口約10cmで5段目からは約5mとなり、その上部は北東に向けて巾が狭くなり
        御成御門までは通路が延びていたようです。
        舟溜まりは1800年代初めには水が入りにくくなったためか、川岸に舟着場をつくり、御成御門も
        現在の南門付近に移されたようです。
        幕末の絵図によると、御舟入跡付近は「古御成御門/こおなりごもん」と記されています。

                         


         


                        


   ● 二色が岡(にしきがおか)
        この一帯は二色が岡と呼ばれ昔は山桜と楓が季節ごとに彩りを変える趣向の林でした。
        今は杉が中心となり、市街地にありながら、野鳥の飛来する静かな林となっています。
        ここには地蔵堂(じぞうどう)、四天王堂(してんのうどう)、茂松庵(もしょうあん)があります。

                         


   ● 地蔵堂(六鎮守のひとつ)
        園内の六鎮守の一つで、二色が岡の中に、静かにまつられています。

                  


   ● 四天王堂(してんのうどう・・六鎮守のひとつ)
        園内の六鎮守の一つで、二色が岡の中に、静かにまつられています。

                  



                              


   ● 茂松庵(もしょうあん)
        築庭当時、この辺りは山桜や楓、松で彩られた林で、建物は花葉軒(かようけん)と呼ばれていまし
        た。 歴代藩主は、ここで茶の湯を楽しみました。
        明治時代になって茂松庵と名が変わり、戦災で焼失後、園内で最初に復元されました。

                  


   ● 花葉の池方面に下りていき、栄唱橋脇の大立石の前を通過。

                  


   ● 突き当たりには「鳥獣供養碑」がたっています。
         この園をか ざりくれし いまなき鳥獣 の霊のため   昭和35年6月18日  建立

                          


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   ● 南門を出ると、岡山城天守閣がみえます。

                  


                  


   ● 南門を出て左折し旭川沿いを進みます。
        昭和天皇御製の碑
          御製
            きし近く 烏城そびえて 旭川 ながれゆたかに 春たけぬとす
                                                  入江侍従次長謹書
         天皇陛下は、昭和42年4月、植樹行幸にご臨席のため岡山県へお越しになった。
         その時の岡山でのご印象を昭和43年歌会始でおよみになった。
         この感激をいついつまでも伝えるためこの碑を建てる。
                                      明治43年4月 岡山県知事 加藤武徳

                  


                          


   ● 南門前の城見茶屋、碧水園の脇を通り、月見橋渡り岡山城へ。

                  



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                               ● (入口へ) ●



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