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<< わかれの杉−→八幡神社鳥居−→徳富蘆花粕谷村入り100年記念碑−→ −→拝殿−→境内社 五所神社−→御大典記念碑 >> ● わかれの杉 (鳥居の右手前 歩道脇) 明治、大正の文豪、徳冨蘆花(本名 健次郎)は明治40年2月(38歳)、ここ粕谷に住居を定めました。 蘆花は、彼を訪ねて帰る人を、いつも、この粕谷八幡神社の入口の杉の下に佇んで感慨深く見送っ ていました。これは、ここでの別れが死別となったことが、○二度に止まらず、また、たとえ生きていた としても、再び会えるかどうか分からぬ人も少なくなかったからです。 そこで、蘆花は、彼の著書「みみずのたはこと」の中で、この杉を「わかれの杉」と名づけました。 「わかれの杉」は、ひとり蘆花にとってだけのものではなく、戦争の都度、応召兵士たちが、武運長 久を氏神の八幡神社に祈願し、この杉の木の下で郷土の人々と別れ、再び会うことが出来なかった など、粕谷の人たちともかかわりの深かったものなのです。 杉は第二次世界大戦後に枯れ、幹を3メートルほど残して切られましたが、この名を惜しんで、二代 目の杉が、神社の氏子の手によって植えられました。 立派に育つよう大切にしましょう。 平成9年3月 世田谷区教育委員会 ● 八幡神社 東京都世田谷区粕谷1丁目23番18号 一祭神 誉田別命(應神天皇) 境内社 五所神社 祭神 厳島姫命・宇迦御魂命・日本武尊・淤母陀琉命・疽神 一由緒 創立年月並びに古代由緒沿革等末祥なれど古老、口碑等により開村当時よりの鎮守として 尊敬をうけてきた古社と推定される。 明治6年12月村社に列せられ、明治41年11月府告示第218号により会計法指定神社となる。 社殿は明治14年3月改築、その後昭和2年改築奉祝祭を挙行す。 昭和29年1月26日、宗教法人法による登記完了。 その後、昭和34年3月30日放火により全焼せるにより、直ちに氏子協力浄財により復興に着 手諸手続きを経て、同年12月鉄筋コンクリートにより社殿、また軽量鉄骨造りにより社務所兼 クラブを完成、奉祝正遷座を執行した。 当社は、その本社を九州宇佐神宮(元官幣大社)の御分霊を祀り、主神が文化や産業の振興 につくされたことから、繁栄と平和つま厄除開運の御神徳を垂れ給う神として一般の崇敬をう けております。 一、境内地 275坪42 外に山林332坪 一、祭 日 例大祭 10月11日 正五九祭 元旦祭 1月1日 新年祭 5月1日 感謝祭 9月1日 その他臨時祭を適宜執行いたしております。 八幡神社社務所 ● 鳥居の左側に「ご由緒書き」があり、扁額は「八幡宮」です。 ● 徳富蘆花粕谷村入り100年記念碑 (鳥居の左側) ● 参道を進みます。 ● 拝殿手前右側に「手水石」、また道路沿いに鳥居があり、そちらからでも境内に入れます。 ● 拝殿 ● 拝殿の左側奥に境内社があります。 ● 境内社 五所神社 祭神 厳島姫命・宇迦御魂命・日本武尊・淤母陀琉命・疽神 ● 奥にも一対の狛犬が置いてあります。 ● 御大典記念碑 (画像をクリックすると大きくなります) ● (入口へ) ● |