(10)恵日須・大黒天堂

                         


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  ● 銅造宝篋印塔(どうぞうほうきょういんとう)    台東区浅草 2丁目3番1号
       宝篋印塔は、「宝篋印陀羅尼経(ほうきょういんだらにきょう)」という経典に基づいて造立された塔で
       ある。
       本塔は江戸時代中期以降に流行した、屋根型の笠をもつ宝篋印塔で、時代性をよく表している。
       本宝篋印塔は、高さ約8m。
       西村和泉守藤原政人時(にしむらいずみのかみふじわらまさとき)が、宝暦11年(1761)に鋳造した。
       西村和泉守は、代々和泉守を名乗る江戸を代表する鋳物師で、多くの作例を残している。
       なかでも本塔は区内に現存する銅造宝篋印塔の中でも最大のもので、近世中期の鋳物師の活動や
       鋳造技術を知る上でも貴重な遺品のひとつである。
       また本塔の造立に際しては、台座に刻まれた銘文から様々な職種や地域からの寄進が確認でき浅
       草寺に対する信仰の広がりが示される。
       安政2年(1855)の地震で本塔は被災したが、明治40年(1907)に日露戦争凱旋記念として修復された
       もので、区の歴史を知る上でも貴重である。
       平成23年に台東区有形文化財(工芸品)として台東区区民文化財台帳に登載された。
                     平成24年3月            台東区教育委員会

                       


  ● 阿弥陀如来像
       阿弥陀如来さまは、極楽浄土にあって法を説き無量の光明と寿命をもって永遠の生命を与えてくださる
       仏さま。
       この像は唐銅製で、阿弥陀三尊像として元禄6年(1693)に千人近い信徒によって建立された。
       もとは本堂裏にあったものを、平成6年にこの地に奉安した。   総高7.5m。
       極楽往生の諸霊の頓証菩提(とんしょうぼだい)を祈る。       金龍山 浅草寺

                      


  ● 恵日須・大黒天堂
       堂内向かって右側の恵日須(恵比須)左側の大黒天はともに七福神の神として広く信仰を集めている
       江戸時代前期の延宝3年(1675)に浅草寺に奉納されたこれらの石像も、参詣の方々に穏やかな顔を
       見せてくれる(お堂は戦後の建立)。
       また天保15年(1844)にお堂脇に建立された石碑などによると、これらの像は真言宗を開いた弘法大
       師空海(774〜835)が造ったと伝えられている。
       当時天台宗であった浅草寺においても、宗派を超えた弘法大師への信仰がみられる点は非常に興
       味深い。                     金龍山      浅草寺

               


  ● めぐみ地蔵尊

                      


  ● 銭塚弁財天(ぜにづかべんざいてん)
       弁財天さまは、七福神のお一人で仏教をお守りする善神である。
       芸能や学問の上達、財宝や福徳の神とされる。
       この銭塚弁財天さまは、福徳財運の弁財天さまとして、特に信仰が篤い。   金龍山 浅草寺

                                     


                   


  ● 出世地蔵尊

                       


  ● 子育地蔵尊

                    


  ● 商徳地蔵尊

                      


  ● 讃慈雲の泉 (浅草寺)
       東京随一の名刹として廣く世に知られる金龍山浅草寺は、幾多の興廃消長の中に法灯連綿として、
       今日に及ぶ。
       とくに住吉に優る當山の隆昌は、大谷米太郎氏を会長とする浅草観光連盟の献身的努力に負うと
       ころ誠に多大である。
       かねて上野・浅草の繁栄に意を注ぐ台東区長上條貢氏は、昨秋上野信用金庫理事長長野高一氏
       寄贈にかかる注誕噴水塔を上野公園入口に建設したが、さらに此の度同氏より多額の浄財の寄託
       を受くるに及び浅草寺、浅草観光連盟と相計り庶民信仰の霊域たる此の地に噴水塔建設を発意す
       上條区長の委嘱により地元関係者を以て建設委員会が結成され熟議検討の結果聖地に相応しき
       噴水塔の実現を期す。
       幸い彫塑家朝倉響子氏の好意により父君朝倉文夫先生の遺作「雲」の像の寄贈を受け、これに近
       代的噴水を配して「慈雲の泉」と名づく。朝倉文夫先生は、日本芸術界の巨匠たると共に我が台東
       区の名誉区民にして「雲」の像は明治41年壮年に至らんとする先生が未来への欣求を籠めた一代
       の傑作である。
       「慈雲の泉」が蓋し、長野高一、朝倉響子両氏を始め多くの人々の美しき善意の結晶と云えよう。
       幸い此の聖地に融和し、とこしえに庶民の街浅草の象徴として愛護されんことを祈念してここに讃
       を記す。       昭和40年(1965)9月吉日  慈雲の泉建設委員会
          建設委員
             台東区長/上條貢  台東区助役/金津武夫  台東区収入役/鈴木義尚
             台東区議会議長/永森久吉  台東区議会副議長/保坂三朗
             上野信用金庫理事長/長野高一  浅草観光連盟会長/大谷米太郎
             金龍山浅草寺貫主/清水谷恭順  常盤堂雷おこし本舗社長/穂刈恒一
             雲の像寄付者/朝倉響子  公園協会理事長/井下清

             



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