本堂前からのパノラマ(2) (1)雷門→仲見世通り (2)宝蔵門→お水舎 |
(4)弁天堂 (5)時の鐘→扇塚 (6)五重塔→浅草不動尊 (7)二天門→銭塚地蔵堂 |
(9)影向堂→薬師堂 (10)恵日須・大黒天堂 (11)新奥山 (12)伝法院→鎮護堂 |
●浅草寺縁起(由来) 時は飛鳥時代、推古天皇36年(628)3月18日の早朝、檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり) の兄弟が江戸浦(隅田川)に漁撈中、はからずも一躰の観音さまのご尊像を感得しました。 郷司(ごうじ)土師中知(はじのなかとも:名前には諸説あり)は、聖観世音菩薩さまであることを知り深 く帰依し、その後出家、自宅を改めて寺となし、礼拝供養に生涯を捧げました。 大化元年(645)、勝海上人(しょうかいしょうにん)がこの地においでになり、観音堂を建立し、夢告によ りご本尊をご秘仏と定められ、以来今日までこの伝法の掟は厳守されています。 広漠とした武蔵野の一画、東京湾の入江の一漁村にすぎなかった浅草は、参拝の信徒が増すにつれ 発展し、平安初期には、慈覚大師円仁さま(794〜864、浅草寺中興開山・比叡山天台座主3世)が来 山され、お前立のご本尊を謹刻されました。 鎌倉時代に将軍の篤い帰依を受けた浅草寺は、次第に外護者として歴史上有名な武将らの信仰をも 集め、伽藍の荘厳はいよいよ増しました。 江戸時代の初め、徳川家康公によって幕府の祈願所と定められてからは、堂塔の威容さらに整い、江 戸文化の中心として繁栄したのでした。 都内最古の寺院である浅草寺は、「浅草観音」の名称で全国的に親しまれ、年間約3000万人もの参 詣者がおとずれる、民衆信仰の中心地となっています。 * (雷門)・・・(宝蔵門)・・・(五重塔) * (本堂)・・・(本尊感得の図/浅草寺寛文縁起絵巻より)・・・(柳之御影/浅草寺寺宝) (パンフレットより) ● 案内コース (1)雷門−→仲見世通り (2)宝蔵門−→おみくじ−→お水舎 (3)本堂 (4)弁天堂−→久米平内堂−→母子地蔵−→阿弥陀如来像−→ −→二尊仏−→地蔵菩薩像 阿弥陀如来像 (5)時の鐘−→松尾芭蕉の句碑−→扇塚−→添田唖蝉坊碑・添田知道筆塚−→都々逸塚 (6)五重塔−→浅草寺事務所−→浅草不動尊−→三宝荒神堂−→地蔵菩薩 (7)二天門−→手水鉢−→一葉観音−→宝篋印塔−→大イチョウ−→ −→九代目 市川團十郎−→銭塚地蔵堂−→カンカン地蔵尊 (8)淡島堂−→写経供養塔−→胎内くぐりの灯籠−→天水桶−→針供養之塔−→ −→浅草大平和塔−→戦災供養地蔵尊−→浅草寺六角堂−→三峯社 (9)影向堂−→六地蔵石燈籠−→一言不動尊−→ −→橋本薬師堂−→聖観音菩薩像−→九頭竜権現−→金龍権現−→ −→仏頂尊勝陀羅尼碑−→三尊名号供養塔−→西仏板碑−→石橋 (10)銅造宝篋印塔−→阿弥陀如来像−→恵日須・大黒天堂−→めぐみ地蔵尊−→ −→銭塚弁財天−→出世地蔵尊−→子育地蔵尊−→商徳地蔵尊−→讃慈雲の泉 (11)新奥山−→瓜生岩子女子銅像−→高橋石斎之碑−→一葉観音像−→ −→福地桜痴紀功碑−→瀧沢世古碑−→浅草観光纉緒の碑−→ −→石井漠「山を登る」記念碑→映画弁士塚→曽我廼家五九郎顕彰碑→ −→喜劇人の碑−→戸田茂睡墓−→力石−→五瀬植松碑 (12)伝法院 鎮護堂 手水鉢−→鎮護堂−→加頭地蔵尊−→幇間塚−→神木・公孫樹−→水子地蔵尊 (右画像・・・浅草寺HPからお借りしました) (アクセス) 鉄道 東武スカイツリーライン・・浅草駅より徒歩5分 つくばエクスプレス・・・・・浅草駅より徒歩5分 東京メトロ銀座線・・浅草駅より徒歩5分 都営地下鉄浅草線・・浅草駅A4出口より徒歩5分 バス 都営バス・京成タウンバス・台東区循環バスめぐりん 車・・浅草寺に駐車場はありません。 台東区雷門地下駐車場ほか、周辺の駐車場をご利用。 境内の浅草神社は別途記載しています (浅草寺のHPを参考にしました) (画像をクリックすると、大きくなります) ● (ホームへ) ● |