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<< 二天門−→手水鉢−→一葉観音−→宝篋印塔−→大イチョウ−→ −→九代目 市川團十郎−→銭塚地蔵堂−→カンカン地蔵尊 >> ● 二天門 (重要文化財) 台東区浅草2丁目3番 この二天門は、慶安2年(1649)頃に浅草寺の東門として建立されたようであるが、江戸時代を通じ て浅草寺観音堂の西側に建てられた東照宮の随身門と伝えられ、随身像が安置されていた。 なお浅草寺の東照宮は元和4年(1618)に建立されたが、寛永8年(1631)と同19年の火災によって 浅草寺の他の諸堂とともに焼失し、その後東照宮は江戸城内の紅葉山に移された。 明治初年の神仏分離令によって門に安置された随身像は、仏教を守護する四天王のうち持国天 増長天の二天像に変わり、名称も二天門と改称した。 現在安置されている二天像は、京都七条の仏師、吉田兵部が江戸時 代初期(17世紀後半)に制作したもので(東京都指定有形文化財)、昭和32年に寛永寺巌有院殿(四 代将軍徳川家綱)霊廟の勅使門から移されたものである。 二天門は昭和25年、国指定重要文化財に指定された。 平成23年3月 台東区教育委員会 * (太政大臣 三条実美筆/左画像) * (増長天)・・・(持国天) * (ふり返ると) ● 手水鉢 江戸時代 安永6年(1777) 「手水鉢」とは、社寺の参拝前に手を清めるために置かれる鉢のことである。 鉢の側面には、「安永6年(1777)に観世音千百五十年法会供養の日に臨時連中によって寄付され た」とあり、推古36年(628)のご本尊さまご示現から数えて1150年を祝う記念法会のために、明和6 年(1769)に設置された浅草寺の消防組織である「臨時連中」によって献じられたと推定できる。 また銘文に「隋身門前」とあり、文化10年(1813)に編纂された「浅草寺志」にも「裏門の外」と記され ていることから、場所を変えずに今に至ると判明する。 現在は使われていないが、江戸時代の多くの人々がここで手を清め、観音さまや三社さまにお参り をされたことであろう。 金龍山 浅草寺 ● 一葉観音 埼玉県の秩父34観音札所の第32番法性寺の観音像を模して造られた。 蓮の1枚の花びらの上に乗り、楫を持ち、笠をかぶったお姿。 新吉原の「ひで」という女の12歳の息子久次郎が、水難事故によって亡くなったことを偲び、息子の 菩提のため、また今後このようなことのないようにとの、「ひで」の願いによって造立された。 寛政9年(1797)に造立。唐銅製。 金龍山 浅草寺 ● 宝篋印塔(ほうきょういんとう) 「宝篋印塔」とは、「宝篋印陀羅尼/ほうきょういんだらに」という経典を収めたことに由来する仏塔で 日本では主に石塔婆の一つの形式として盛んに造立された。 この塔は江戸時代中頃の安永4年(1775)に、境内にかつてあった荒澤不動堂の實圓を導師として造 立され、銘文は江戸深川に住む書家の三井親和(みついしんな)によって揮毫された。 塔の四方には、「宝篋印陀羅尼」の経文の一部が刻まれており、「お経を書写して奉安し、礼拝供養 する者は、過去の罪障が消滅する」など、計り知れない功徳を得ることが説かれている。 功徳を得ることを願う人々の祈りの声が聞こえる。 金龍山 浅草寺 ● 大イチョウ ● 九代目 市川團十郎 大正8年(1919年)江戸歌舞伎ゆかりの地、浅草の浅草寺境内に劇聖と謳われた明治の名優九代目 市川團十郎の歌舞伎十八番「暫」の銅像が作られました この銅像は、近代彫刻の先駆者新海竹太郎氏の傑作であり、歌舞伎の象徴として全國の人々から 親しまれておりました ところが第二次世界大戦中の昭和19年(1944年)11月30日金属回収のため、この「暫」の銅像も供 出の命を受け 40余年を経てまいりました この度12代市川團十郎襲名を機に 復元の機運が高まり浅草寺の御理解のもと多くの方々に御尽 力を賜り ここに「暫」の銅像が再現されました 11代目並びに12代市川團十郎父子 地元浅草及び松竹株式会社三者の永年の願いが叶えられた ことになります こののちも 歌舞伎の隆盛とともに この「暫」の銅像が歌舞伎の象徴として 日本國民はもとより世 界の人々からも 幾久しく愛されますことを願ってやみません 昭和61年(1986年)11月3日 宇野信夫 撰書 九代目市川團十郎「暫」銅像 復元建設委員会 12代市川團十郎 浅草観光連盟 松竹株式会社 ● 銭塚地蔵堂 昭和39年(1964)に再建されたこの堂には、石造の「六地蔵尊」が安置されており、その下に「寛永通 宝」が埋められているといわれることから「銭塚」の名がある。 江戸時代、摂州有馬郡に山口なる者がおり、その妻がある日、庭先で寛永通宝が沢山入った壷を掘 り当てた。 だがこれに頼って働かずにいては、家は滅びてしまうと考え、誰にもいわず再び土中に埋め戻した。 この心掛けによって一家は繁栄したので、その壷の上に地蔵尊を祀ったという。 お堂のご本尊は、そのご分身を勧請したもので、商売繁盛のご利益があるといわれる。 毎月「四の日」と正・五・九の各月24日に法要が営まれ、参拝者は塩と線香とローソクをお供えする。 特に塩をお供えするので「塩なめ地蔵」の名もある。 金龍山 浅草寺 ● カンカン地蔵尊 このお地蔵さまは、お姿の原型をほとんど残していない。 古来よりお参りの方が、付随の「小石」で御身をごく軽く「たたき」お願いごとをする。 石で軽く打ち祈ると「カンカン」という音が鳴るので俗にこのように称されている。 (刃物や他の石などで御身を「削る」ことは、固くお断りしている) 金龍山 浅草寺 (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |