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<< 参道−→延命地蔵尊−→三松関−→新到安下所−→木原崇雲翁顕彰碑−→ −→三門−→石燈籠−→三松閣−→香積台 >> ● 参道を進みます。 ● 延命地蔵尊 総門の左側には、築地塀(ついじべい)を背にして「延命地蔵尊」が祀られています。 このお地蔵さんは、悲恋の物語を秘めているとの伝承があり、能登の祖院では「三味線地蔵」と呼 ばれています。 ● 三松関(さんしょうかん) 總持寺の総門。 「三樹松関/さんじゅしょうかん」と書かれた扁額は總持寺中興の祖といわれる石川素童(そどう)禅 師(1841〜1924)が揮毫(きごう)されたもので、總持寺の祖院がある能登には、みごとな龍の形をし た三本の松樹があったことに由来しています。 禅宗寺院の第一門としては珍しく、特異な高麗門の様式で建てられています。 * (三門方面から) ● 新到安下所 総門の棟つづきの右奥に「新到安下所/しんとうあんげしょ」があります。 仏の道を志す修行僧が、最初にワラジを脱ぎ、宿泊する建物で、細い縦看板がかけられています * (中央/築地塀/ついじべい) * (木原崇雲翁顕彰碑) ● 三門 木原崇雲氏が妻の菩提のために寄進され、昭和44年に落成した建物です。 鉄筋コンクリート造りで、日本一の大きさを誇っています。 左右に元横綱・北の湖関15歳の姿をモデルにしたと伝えられている阿吽の仁王像が納められてい ます。 三門楼上には、観音・地藏の放光菩薩像と、十六羅漢像および四天王像が祀られ、彫刻家・阿部 正基氏の作です。 三門正面の扁額「諸嶽山」は独住19世・岩本勝俊禅師が書かれたものです。 * (反対側より) ● 大東亜戦争病歿者各英霊の菩提を供養する石燈籠 大東亜戦争病歿者各英霊の菩提を供養し、日本の永遠の平和と世界の共存共栄を祈念し十方の 施主の浄財を仰ぎ、この石燈籠を寄進しました。 ● 三松閣(さんしょうかく) 三門に向かって右側に大きな切妻造り鉄筋コンクリートの堂宇がみえます。 地上四階、地下二階、9400平方メートルの広さがあり、檀信徒研修道場、各種セレモニーの会場、 宿泊施設も整っています。 能登・祖院にあった三本の龍形の松にちなんで「三松閣」と呼ばれています。 ● 香積台(こうしゃくだい 総受付) 香積とは、香気が充満している世界のことで、『維摩経香積品』が説くことによると、そこに住む如 来の名であるといわれています。 大正9年完成。総檜、切妻様式。 正面玄関には、独住第三世・西有穆山禅師が揮毫された「香積台」の扁額が掲げられています。 中央廊下のつき当たりに、日本最大といわれる木彫の大黒尊天が奉安されています。 この像を祀ると開運福徳を授かると信仰されています。 また大きなしゃもじとすりこぎ棒も祀られています。 * (己が身は水をも火をもいといなくすくい上ぐるぞ御佛の慈悲) 日本一の大黒さま 香積台には大黒天像を奉祀しています。 財福神として崇敬され、インド・中国では古くから寺院の守護・豊饒を司りました。 頭に不老帽、右手に打出の小槌を持ち、大きなフクロを肩にかけ、俵の上に立つ像容ですが、これ は教典儀軌に記載のない、江戸期以降、わが国で広く拝まれるようになった独創性豊かな神仏習 合の流布像といえます。 * (売店・休憩所) (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |