(1)二ノ丸御門跡→二ノ丸橋

                           


                       (画像をクリックすると大きくなります)    (駿府城公園
   

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                       −→二ノ丸橋−→「切込み接ぎ」と「打込み接ぎ」の石垣モデル >>


  ● 駿府城四足御門跡(よつあしごもんあと)
       駿府城南辺の西寄りの箇所に設けられた出入口で、東側の大手御門と並び、東海道筋から城へ入 
       る重要な出入口の一つです。
       三ノ丸堀を土橋で渡って、左手へ直接に曲がり、渡櫓門(わたりやぐらもん)から城内へ入る構造にな
       っていました。          静岡市教育委員会

                  


  ● 駿府城古絵図附記の「御城旧記」より妙録
       静岡市は昔 安倍の市と称した集落旧跡であり、永禄年間(1558年)頃より町としての形をなしたこと
       が明らかであるが、永禄・天正年間の兵火で多数の民家が焼失し、住民の多くは離散した。
       その後、兵火もおさまった慶長の初め頃から徐々に民家も建つようになった。
       慶長12年(1607年)駿府に移ってきた徳川家康は城下町駿府の整備のため彦坂九兵衛光政畔柳寿
       学奉行に任し、町割りを完成させた。
       そしてこの町割りには、町年寄友野宗全の力によるところも大きいと記されている。

                      


    * (坤櫓)

                  


                          


  ● 静岡学問所之碑
       静岡学問所は、明治維新後駿府に移ってきた徳川家(府中藩)により、藩の人材を目的として駿府城
       四ツ足御門にあった元定番屋敷内(現静岡地方合同庁舎付近)に明治元年(1868)「府中学問所」とし
       て創設されました。
       学問所には、翌2年「駿府」が「静岡」に改められたことにより「静岡学問所」となりましたが、明治5年
       8月学制の施行とともに閉鎖されました。
       この学問所には、向上心に燃える者は身分を問わず入学が許可され、向山黄村、津田真一郎(真道)
       中村正直(敬宇)、外山捨八(正一)など当代一流の学者により、国学・漢学とともにイギリス・フランス・
       オランダ・ドイツの洋学も教授されました。
       またアメリカ人教授E.w.クラークは専門の理化学のほか哲学や法学なども教えました。
       廃校後、洋学系の教授の多くは明治政府に登用され、開成学校(現東京大学の母体)の教授など学
       界や官界で活躍をしました。
       静岡学問所の歴史は短期間でしたが、日本の近代教育の先駆けをなし、明治初期の中等、高等教
       育の最高水準の学府でありました。          静岡市教育委員会  平成元年12月

                  


  ● 静岡城内尋常小学校 校址碑

            


  ● 駿府城二ノ丸御門跡
       二ノ丸へ入る正面出入口で、二ノ丸大手門とも呼ばれました。
       二ノ丸堀を木橋で渡って、高麗門(こうらいもん)を通り石垣で囲まれた枡形内を経て、渡櫓門(わたり
       やぐらもん)から二ノ丸内へ入る構造になっていました。
       門は昭和32年に埋められ、約70m東側に新たに出入口が設けられました。(現在の駿府公園入口)

                  


  ● 二ノ丸橋

                             


                          


                               


  ● 二ノ丸堀(中堀)石垣災害復旧工事完了のお知らせ

      


  ● 「切込み接ぎ」と「打込み接ぎ」の石垣モデル
       平成21年8月11日に発生した駿河湾を震源とする最大震度6弱の地震のより、駿府公園(駿府城跡)
       の二ノ丸堀の石垣が崩落しました。
       石垣の復旧の際に用いた積み方と、二ノ丸堀石垣に見られる積み方を地震で崩れた石材の中で破
       損のために再利用できなかった石材で積み上げたものです。
          打込み接ぎ(右側)
            石の角を叩いて割り、割り石(矢穴を開けて割る)をもちいて石垣を築く方法です。
            石の隙間には間詰め石を詰めています。
          切込み接ぎ(左側)
            切石(加工石)で石垣を築く方法です。
    石垣の「刻印」とは
       石垣に使われている石材には、「刻印」と呼ばれるさまざまな文字や記号が刻み込まれています。
       この刻印の役割は、石垣の工事にたずさわった大名の家紋を刻んだものや、石を積んだ職人のサイ
       ンで、作業を担当した場所を表していたとされています。
       ほかにも、石材の原産地を表していたり、奉行の名を記したといわれたり、その役割は今も研究され
       ています。
       駿府公園(駿府城)で発見された刻印の数と種類は300以上あり、150種類を数えることが出来るそう
       です。                                  静岡市公園整備課

           


                  


      


           



                          (画像をクリックすると、大きくなります)


                                ● (入口へ) ●


 

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