(2)坤櫓 (ひつじさるやぐら) 坤櫓そばからのパノラマ |
(4)巽櫓 1 (5)巽櫓 2 |
(7)巽櫓 4 (8)東御門 |
● 駿府城 今から約650年前の室町時代、今川範国が駿河守護職に任じられて以降、駿河国は今川氏によって 治められました。 9代義元の今川氏全盛の頃、徳川家康は7歳から18歳までの間、人質として駿府に暮らしました。 永禄3年(1560)、今川義元が桶狭間で織田信長に討たれた後、今川氏は急速に衰退し永禄11年(15 68)武田氏により駿府を追われました。 徳川家康は駿府の武田氏を天正10年(1582)に追放した後、同13年(1585)には駿府城の築城を開始 し浜松城から移りました。 しかし徳川家康は、天正18年(1590)豊臣秀吉により関東に移封され、豊臣系の中村一氏が駿府城の 城主になりました。 その後、徳川家康は関ヶ原の戦いに勝利し、慶長8年(1603)に征夷大将軍に任じられ江戸幕府を開 きます。 慶長10年(1605)に将軍職を息子秀忠に譲り、同12年(1607)には大御所として、三たび駿府に入りま した。 この時に天正期の城が拡張修築され、駿府城は壮大な新城として生まれ変わりました。 城には三重の堀が廻り、堀に囲まれた曲輪を内側から「本丸」、「二ノ丸」、「三ノ丸」とする典型的な 輪郭式の縄張りとしています。 大御所の城にふさわしく、築城に際して「天下普請」として全国の大名が助役を命じられ各地から優 秀な技術者や多量の資材が集められました。 阿倍川の堤の改修や、城下町の整備なども行われ、現在の静岡市街地の原型が造られました。 静岡市教育委員会 * 駿府城本丸跡 * 東御門 * 巽櫓(たつみやぐら) * 坤櫓 (ひつじさるやぐら) ● 案内コース (1) 四足御門跡−→駿府城古絵図附記の「御城旧記」より妙録−→ −→静岡学問所之碑−→静岡城内尋常小学校 校址碑−→二ノ丸御門跡−→ −→二ノ丸橋−→「切込み接ぎ」と「打込み接ぎ」の石垣モデル (2) 坤櫓 (ひつじさるやぐら) (3) 本丸跡(徳川家康公像)−→家康手植のミカン−→東照公御遺訓−→ −→行幸御野立所跡碑−→二ノ丸水路−→銀座の柳 二世−→ −→伊東小室桜−→双葉葵の小径−→歩兵第34連隊址碑−→軍神橘中佐碑 (4) 巽櫓(たつみやぐら) (一)駿府城の歴史を知ろう! (5) 巽櫓 (二)駿府城は、どんな城だったの!−→(三)駿府のまちはどんなろころ? (6) 巽櫓 (四) 駿府城の発掘調査 (7) 巽櫓二階−→巽櫓一階 (8) 東御門−→東御門橋−→弥次喜多像 ● 東御門・巽櫓・坤櫓 開館時間 午前9:00〜午後4:30 (入園は午後4時まで) 休館日 月曜日(祝日営業) * (右画像/駿府城公園HPからお借りしました) (アクセス) 電車利用の場合 JR静岡駅から徒歩約15分 静鉄新静岡駅から徒歩約12分 車利用の場合 東名高速 静岡I.Cより車で約17分 新東名高速 新静岡I.Cより車で約18分 市民文化会館前駐車場(地下駐車場・有料)をご利用ください。 ●公園内の紅葉山庭園、近くの静岡浅間神社は別途記載しています● (駿府城公園HPを参考にしました) (画像をクリックすると、大きくなります) ● (ホームへ) ● |