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<< 惣門−→大宝院−→称名寺塔頭光明院表門−→仁王門 >> ● 惣門(赤門) 称名寺の南辺を限る朱塗門。 明和8年(1771)に再建。 四脚門、切妻造、本瓦葺(再建当初は茅葺)。 ● 参道を進み、すぐ右側の標識「塔頭大宝院→」に従って右折。 ● 大宝院(だいほういん) 当院は奈良西大寺の末寺で、金沢山弥勒院称名寺の一坊であった。 鎌倉時代、金沢文庫を経営した北条氏が、4代にわたって称名寺の伽藍を造立した頃僧坊として建立 されたものと思われる。 文明16年(1484)に記された称名寺の僧鏡心の「鏡心(きょうしん)日記」に当院の名がみえる。 本尊は聖観世音菩薩。 本尊は観音堂正面の厨子(ずし)に祀られている。 江戸時代の中頃には金沢札所の第3番に数えられ、所願成就の観音霊場として多くの参詣者で賑わ った。 明治30年(1897)に明治憲法の草案作りのため金沢の地を訪れていた伊藤博文によって、境内に金沢 文庫と閲覧所が復興されたが関東大震災により倒壊し現在は庫裏(くり)の一部として残存しているのみ である。 平成6年4月 大宝院 住職 *(入口がわからないので、階段の途中から撮りました) ● 参道に戻り、進んでいくと左側に「称名寺塔頭光明院表門」が。 ● 称名寺塔頭光明院表門 (横浜市指定有形文化財(建造物) 平成4年11月1日 指定 構造及び形式 四脚門、切妻造茅葺、袖塀付 時 代 寛文5年(1665) 光明院は、称名寺の塔頭のひとつで、「新編武蔵風土記稿」に 「光明院、仁王門に向かって左にあり、五院の第一揩ネり、本尊地蔵春日の作なり」 とあり、江戸時代後期には、五つの塔頭の一位を占めていました。 この表門は、小規模な四脚門ですが、和様を基調に禅宗様を加味した意匠となっています。 また、市外から近年移築された三渓園の建造物などを別にすれば、造営年代が判明する市内の建造 物のなかで最も古く、極めて貴重です。 平成5年3月 横浜市教育委員会 ● 仁王門に向かいます。 ● 仁王門 禅宗様。 文政元年(1818)に再建。 三間一戸の楼門、入母屋造、軒唐破風付、銅版葺(再建当初は茅葺)。 木造金剛力士立像(元亨3年、神奈川県指定重要文化財)。 * 仁王像 (左/吽形(うんぎょう) 右/阿形(あぎょう)) *(庭園側より) (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |