反橋の上からのパノラマ 阿字ヶ池前からのパノラマ(1) |
阿字ヶ池前からのパノラマ(2) |
(3)八角堂屋→北条実時の墓 (4)中世の隧道→金沢文庫 |
● 称名寺 指定/大正11(1922)年10月12日 63,956u 追加指定/昭和47(1972)年1月31日 91,289u 金沢山称名寺(きんたくさんしょうみょうじ)は、十三世紀半ばに創建された金沢北条氏一門の菩提寺 で「木造弥勒菩薩立像」(鎌倉時代、重要文化財)を本尊としています。 もとは、鎌倉幕府の重臣北条実時(1224〜1276)が邸宅内に設けた阿弥陀堂から始まったと言われ、 初めは念仏の寺でしたが、のち真言律宗に改められました。 二代顕時(あきとき 1248〜1301)が受け継ぎ、三代貞顕(さだあき 1278〜1333)の時代に大規模な 造営が行われました。 元亨3(1323)年「称名寺絵図」(重要文化財)のは、苑池のまわりに七堂伽藍を配置した最盛期の称名 寺の様子が描かれています。 また、寺に隣接して設置さあれた文庫には、貴重な文物が収集されていました。 その一部は、寺と神奈川県立金沢文庫に継承されています。 大正11(1922)年、「称名寺絵図」に描かれた結界域と歴代金沢氏・住職の墓域が、ついで昭和47(19 72)年には背後の山稜部や惣門付近が国の史跡に指定されました。 平成25年3月 神奈川県教育委員会 横浜市教育委員会 ● 国指定史跡 称名寺境内 追加 大正11年10月12日 指定 昭和47年1月31日 指定 (史跡面積 155,245u) 称名寺は、金沢山称名寺と号し、真言律宗の別格本山として西大寺末の律院で、本尊には木造弥勒 菩薩立像(鎌倉時代、重要文化財)が安置されています。 本寺は、金沢北条氏一門の菩提樹で、草創の時期は明らかにしていませんが、正嘉2年(1258)、金沢 氏の祖と称されている北条実時(1224〜1276)が、六浦荘金沢の居館内に営んだ持仏堂から発したと 推定されています。 その後、称名寺の基礎が定まるとともに伽藍の整備が着手され、実時の子、顕時(1248〜1301)の時 代には、弥勒堂、護摩堂、三重塔などが建立され、さらに、顕時の子、貞顕(1278〜1333)は伽藍の再 造営を行い、元亨3年(1323)には、苑池を中心として弥勒来迎板絵(重要文化財)に荘厳された金堂を 初め、講堂、仁王門など、七堂伽藍を備えた壮麗な浄土曼荼羅にもとづく伽藍を完成させました。 しかし、元弘3年(1333)、北条氏の滅亡により鎌倉幕府の崩壊を契機として伽藍の維持が困難となり、 江戸時代に入ると創建当時の堂塔の姿を失いました。 大正11年、称名寺の内界である中心区域が国指定を受け、更に、昭和47年、境内背後の丘陵を含め た範囲が指定されるとともに、昭和62年には、庭園苑池の保存整備事業が行われました。 *(惣門)・・(称名寺塔頭光明院表門)・・(仁王門) *(金堂)・・(釈迦堂)・・(梵鐘) *(反橋) *(平橋) *(八角堂)・・(北条実時の墓) *(金沢文庫)・・(金沢文庫に通じるトンネル)・・(新宮古址) ● 案内コース (1) 惣門−→大宝院−→称名寺塔頭光明院表門−→仁王門 (2) 称名寺庭園 新宮古址−→北条実時公像−→忠魂碑−→反橋と平橋−→梵鐘−→ −→金堂−→釈迦堂−→謡曲「六浦」と青葉楓−→寺務所 (3) 観音通り−→観音広場−→八角堂−→稲荷山通り−→ −→稲荷山休憩所−→北条実時の墓−→金堂方面へ (4) 中世の隧道−→金沢文庫に通じるトンネル−→金沢文庫 (アクセス) ● 京浜急行「金沢文庫」東口下車徒歩約15分 金沢文庫駅より 京急バス文13系統柴町行き「称名寺」下車 シーサイドライン「海の公園柴口」下車徒歩約15分 ● 近くに 三渓園・・総持寺・・西方寺 があります ● (画像をクリックすると、大きくなります) ● (ホームへ) ● |