(3)回棹廊→縮遠亭

                         



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  ● (9)回棹廊 (かいとうろう 1884(明治17)年頃再建)
         北大島と丹楓渓とを結ぶ木橋です。
         安政の大火(1858年)における焼失以前は、朱塗りの欄干を持つ反橋だったと伝えられています
         が、現在は檜皮葺の屋根をもつ橋となっています。
         中央の唐破風屋根の天井部には掛け釘が設けられ、かつては夜半の来客の折り、金燈籠を吊
         って火を灯しました。

             


                          


                      


                  



  ● [11]紫藤岸 (しとうがん)
         回棹廊の東岸、印月池にせり出すように藤棚があります。
         当初この藤は野生であったと伝えられていますが、現在は棚が設けられています。

                          



  ● 塩釜へ向かいます。

                          



  ● [9]塩釜
        縮遠亭の建つ築山の北麓に石組みの横穴が設けられ、底に井筒があります。
        その形が塩を製造する塩釜とそれを屋根で覆う塩屋のありさまに似ていることから塩釜と呼ばれて
        います。
        縮遠亭で茶会が催される際の水源であったと思われますが、今は水が枯れてしまっています。

                  



  ● [5]碧玉 (へきぎょく)の石幢(せきどう)
        石幢というのは通常の石灯籠と違って、笠の部分に蕨手(わらびて)と呼ばれる装飾が付いておらず
        竿に節が無いなどの特徴があります。
        石燈篭でいう火袋にあたる部分は平面が六角形の仏像を安置するための龕(がん)となっています。
        碧石は青い色をした貴石のことですが、この石幢の石質は青味がかっておらず、なぜ、碧石と呼ば
        れているのかわかりません。
         蕨手・・寺社建築などにみられる装飾で、屋根の先端がわらびの頭のように巻き込まれた形をいう

                              



  ● [10]五松塢 (ごしょうう)
         侵雪橋を縮遠亭の建つ島へ渡ったところの北側のあたりを指し、本来は五株の松のあるいは一
         幹五枝の松が植えられていたことから名づけられました。
         「塢」とは小さい土手をいいます。
         この五松塢がある島と南大島(臥龍堂)は、その位置と高さ、古図面に見える高瀬川の旧流路な
         どから、豊臣秀吉が築かせた「御土居/おどい」の跡であるという説が、現在では有力になってい
         ます。

              



  ● (8)縮遠亭 (しゅくえんてい 1884(明治17)年頃再建)
        印月池に浮かぶ北大島に建てられた茶室です。
        西側入口の土間から奥へ入ると茶室(抹茶席)があり、四畳間が付く構成をとります。
        その南端から斜めに続く板間を経て三畳敷の上段の間が連結されており、上段は床を高く支えた
        舞台造りになっています。

                  


                  


                          


  ● [6]塩釜の手水鉢
        これは、手水鉢の一形式として全国の庭園にある「塩釜の手水鉢」の手本となるもので、いわゆる「
        本歌」(=オリジナル)といわれ、渉成園の景物として最も重要なものです。石造宝塔の塔身を手水鉢
        に転用したもので、鎌倉時代の制作とみられます。

                  




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                                ● (入口へ) ●


 

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