天覧山・多峯主山(とおのすやま)・能仁寺 (埼玉県飯能市)
天覧山からのパノラマ
多峯主山からのパノラマ
天覧山〜多峯主山 能仁寺
能仁寺からのパノラマ
能仁寺からのパノラマ(秋の紅葉)

  ● 天覧山 (てんらんざん 197m)
       天覧山は海抜194.6m、市街地西北部に位置し、春はつつじ・桜、秋は紅葉また冬ともなれば松の緑
       に映える雪景色等その勝景は広く天下に知られている。
       この山は、山麓にある能仁寺の守護神である愛宕権現を祀ってあるところから愛宕山とよばれてい
       たが、元禄年間・徳川五代将軍綱吉公の生母桂昌院がおさめたといわれる羅漢の石仏にちなんで、
       長い間「羅漢山」と呼ばれていた。
       明治16年、陸軍の演習に際し、明治天皇お野立所となったのを記念して、天覧山と改称された。
       頂上には、角岩が露出し、鏡岩・獅子岩等の奇岩が登山者の目を楽しませてくれる。
       展望台に立てば関東平野が一望にひらけ秩父連峰・奥多摩の山々・はるかに富士山を望むことが
       できる。
       山容の美しさに加えて、山麓には名刹能仁寺をはじめ、詩壇の特異な存在であった蔵原伸二郎文
       学碑、明治時代の飯能地方の教育家・堀内堅之助遺徳碑、江戸末期の学者・藤規短庵の墓碑、
       源氏物語の現代語訳をはじめ、広く国語・国文学会に貢献された文学博士・五十嵐力夫妻のの墓、
       小川香魚父子の碑などがある。
       また慶応4年、官軍に抗戦して幕府の旧没者の忠霊塔などがある。  昭和55年3月  埼玉県

          


               


  ● 多峯主山 (とうのすやま 271m)と経塚
       多峯主山は天覧山の北西にあり、海抜271mの山で頂上に三等三角点がある。
       文字どおりこのあたりの山ではひときわ高く、登り口には県指定天然記念物の飯能笹が自生してお
       り、また常盤御前にまつわる「見返り坂や「よし竹」の伝説がある。
       「よし竹」は常盤御前がこの山に登りながら「源氏再び栄えるなら、この杖よし竹となれ」といって持
       っていた竹杖を地に立てたところ、それが根づいて一面の竹林となったといわれ、今日でもわずか
       ながら、よし竹と呼ばれる竹の植生がある。
       「常盤が丘」には、常盤御前の墓があったといわれ宝篋印塔があり、その近くに「常盤平」と呼ばれ
       る眺めのよい場所がある。
       中腹には、いまだ一度も水のかれたことのないといわれている
       「雨乞池」、頂上近くには、郷土の武将、上州沼田城主の黒田直邦の墓がある。
       山頂にある経塚は石に経文を書いて土の中に埋めた塚で、岩石を釜底形に掘った穴に約12,000
       個の河原石が埋蔵されており、明和2年(1765年)の年号が刻まれた石経供養塔が建っている。
                                     昭和55年3月   埼玉県

             


               


     


  ● 見返り坂と飯能笹(県指定天然記念物)
       見返り坂は、源義経の母、常盤御前がこの山に登ったとき、あまりの風景のよさに後を振り返り、振
       り返り登ったことによりこの名がついたといわれている。
       好みかえり坂のふもとに、植物学者・故牧野富太郎博士により発見され、命名された飯能笹の埴生
       がある。
       この笹は、アズマザサの仲間で根茎は横に走り、茎はこげ茶色をしてまっすぐに立ち、高さは155cm
       前後、直径0.6cmほどになる。
       茎の上部で枝が分かれ、枝の端には、手のひらをひろげたように数枚の葉が集まってついている。
       葉は細長く、長さ13〜20cm、幅2cm内外で先はとがっている。
       質は薄い洋紙質で表面は毛がなく、裏面にはビロード状の細毛がある。
       中央の脈は細く裏面に隆起しており、この両側に5〜8本の脈をもっていて冬季に葉のふちは白色
       となる。
       一見普通の笹のようにみえるが、幹の色、枝の出方などの特色がある。
       繁殖力はさほどなく、古くからこの地にのみ限られて生きている。   昭和55年3月  埼玉県

                          


  ● 武陽山能仁寺
        曹洞宗の寺院で、室町中期文亀年間(1501〜1503年)飯能の代表的武人・中山家勝が曹洞宗通
        幻派の名僧・斧屋文達師を招いて開いた禅道場がはじまりといわれ、家勝の子・家範が父の冥福
        を祈るために寺院を創建したといわれています。
        その後、数代を経て中山直張の子・直邦が黒田氏を継ぎ五代将軍綱吉公に仕えて信任を得、以
        来、当寺は厚く待遇され元禄10年(1697年)8月25日、前天台座主公一品公辨現王の額字を賜り
        ました。
        現在本堂に掲げてある「武陽山」の額がそうです。
        宝永2年(1705年)12月27日、綱吉より50石の朱印状を賜り、当時は丹冶一族の菩提寺として栄
        え、末寺も20の寺を数えたという。
        慶応4年5月23日の飯能戦争のときに振武軍の本陣となったため焼失し、現本堂は昭和11年能
        仁寺29世萩野活道道師が再建しました。
        その後昭和51年より復興を続け、現在では山門・位牌堂・大書院・鐘楼・大庫院が完成しています

      



      ● 天覧山〜多峯主山は、地元の人達の朝のジョギングや散歩コースになっているようです ●

                (山道などが変更されている場合もありますのでご注意ください)


                          


     ● アクセス
          車・・・・首都圏中央連絡道・狭山日高I.Cから15分
          徒歩・・西武池袋線「飯能駅」北口から約20分
          バス・・西武池袋線「飯能駅」北口から、名郷・名栗車庫・湯ノ沢・西武飯能日高団地行き
                     「天覧山下」下車、徒歩5分
          タクシー・・西武池袋線「飯能駅」北口から約5分


                     (画像をクリックすると、大きくなります)


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