曇 |
8:00-8:05-------8.06-8:34----8:35--------8:42--------8:48-9:15--- 階段を下り右折−登山口(見返り坂)−分岐(←宮沢湖 見返り坂→)−雨乞池− ----9:20------------9:24----------------9:40-------------9:45-9:50- −黒田直邦の墓−多峯主山山頂−分岐(←宮沢湖 見返り坂→)−天覧山中段- ------9:53-------9:58-10:25-------------10:30--------------10:52--- −飯能市民会館(駐車) 所要時間(休憩は含みません) -------10:58 登山口〜天覧山・・13分 天覧山〜多峯主山・・43分 多峯主山〜登山口・・33分 コースによって、所要時間は異なります 飯能市民会館Pは、通常8時には開きますが催し物等がある場合は変更されます また満車で入れないこともあります。 (山道などが変更されている場合もありますのでご注意ください) (画像をクリックすると、大きくなります) |
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8:05 8:06 8:35 |
支度して出発。 交差点を渡り、「能仁寺」にお参りすることに。(能仁寺は、別途記載してあります) 登山口は能仁寺の門の右側にあります。(また駐車場の左奥を出て車道を渡ると登山口です) * (市民会館前無料駐車場)・・・(能仁寺)・・・(登山口) 公園のような場所を上ると、すぐ舗装になり左側は「能仁寺東参道」です。 能仁寺山門をくぐり「中雀門」手前を右折すると「能仁寺東参道」になります。 標識(天覧山・高麗峠→)や「天覧山の由来」の看板があります。 * (天覧山・高麗峠→)・・・(能仁寺東参道)・・・(天覧山の由来) 直進して行くと、左側に「忠霊塔」があります。 * (中央/忠霊塔) |
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また産業災害で亡くなられた方々の慰霊碑もたっています。 分岐(↑天覧山 高麗峠・多峯主山→ ) ● 右に行く道は、天覧山を巻いて多峯主山に行く事ができます。(約25分〜30分) * (天覧山中段広場) * (周辺地図)・・・(慰霊碑)・・・(高麗峠・多峯主山→) 直進すると、まもなく分岐(←十六羅漢像・天覧山)を左折。 * (←十六羅漢像・天覧山) 十六羅漢像が見えてきます。 十六羅漢像 この石仏像は、徳川五代将軍綱吉がたまたま重い病におかされたおり、生母桂昌院 は大変心配し、親しかった飯能出身の大名黒田直邦に相談したところ、直邦は菩提 寺能仁寺の廣基和尚による病気平癒の祈願をすすめ和尚はただちに江戸城に召さ れて祈願を行った。 その霊験により、たちどころに健康をとり戻したという。 桂昌院はこれを喜び、報恩感謝の印に十六体の羅漢像を寄進し、ほかに綱吉の守 本尊の伽羅木観音像と金爛の袈裟を贈った伝えられている これまでこの山は愛宕山と呼ばれていたが、このときから羅漢山と言われるようにな り、後に天覧山と改称された。 昭和55年3月 埼玉県 ほんの少し下り石の階段を登って行くと、山頂の展望台下になります。 * (展望台下) |
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南に大きく開かれ、展望できる山々の案内板や「天覧山」の解説板があります。 ● 天覧山の由来などは、前項に記載してあります。 * (秋になると) * (大岳)・・・(御前山)・・・(高水三山) * (新宿方面)・・・(富士山頂上がほんの少し) (全景は、パノラマでご覧ください) 下記の山々は、よく見えます。 大山・・塔ノ岳・・陣馬山・・日ノ出山・・馬頭刈山・・大岳山・・御岳山 御前山・・高水三山(惣岳山・高水山・岩茸石山)・・棒ノ嶺 (全景は、パノラマでご覧ください) |
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9:15 |
(←多峯主山 ↑多峯主山 能仁寺→ ふるさと歩道) 「←多峯主山」に従い、小屋の脇から下っていきます。 * (小屋の脇から) すぐ東屋の広場になり標識がたっています。 東屋の左右どちらからでも 「多峯主山」 に行く事ができます。 ● 右側の道を下って行くと、「天覧山中段広場」から天覧山を巻いてきた道に合流し、 尾根コースなので、なだらかな道です。 * (東屋の広場)・・・(標識)・・・(右側の道・下ると巻き道と合流) 左側の坂を下る事に。 ヒノキ林の中を滑りやすい丸太階段を下っていくと、下の道に突き当たります。 * (左側の坂を) |
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植物学者・故牧野富太郎博士が発見した「飯能笹」のようです。 * (多峯主山→) 木標(飯能市景観緑地指定地)の所に小さな橋があり、その手前に山にいく道があります。 少し行きかけたのですが戻り橋を渡ります。 * (飯能市景観緑地指定地)・・・(右の道へ)・・・(橋を渡る) |
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スギ・ヒノキの混じった自然林の中の階段を緩く登っていきます。 見返り坂 東国に逃れた義経を追ってこの地までやって来た常盤御前が、あまりの美しさに振り 返り振り返り登ったことから名付けられたそうです。 現在は鬱蒼としたスギ・ヒノキ林の中で、それほどの展望は得られません。 * (見返り坂と飯能笹)・・・(登山口) 階段が終わり、標識(←多峯主山 天覧山→)のたっている場所の左側に下っていく道があり ます。 |
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* (合流・天覧山方面からの道) すぐ先に「多峯主山山頂」への直登の階段があります。(頂上まで5〜6分) 先に「雨乞池」に行くため通過。 * (多峯主山山頂への直登の階段)・・・(雨乞池方面) |
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9:50 |
雨乞池 この池を雨乞池または雨乞渕という。 山頂にありながら、かつて水の枯れたことのない池である。 古くは、この上手に高おかみ・闇おかみ(雨をつかさどる神として古来祈雨・止雨の神) がまつってあって近郷の人達の振興が厚かった。 田畑の作物が枯れるような旱天が続くと、ここに集まって神に雨を乞い、池のまわりで 賑やかなお祭りをしたという。 「この水を濁すと雨が降る」といい、また鼻をつまみ息を止めて七廻りすると、池の中に 異変がおこるといったような伝説もある。 昭和55年3月 埼玉県 解説版と標識(←多峯主山山頂・黒田直邦の墓 天覧山・飯能駅→) 標識に従い階段を上りはじめます。 |
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江戸時代の大名・黒田直邦(1666年〜1735年) この地方の豪族・丹党中山氏の出で、黒田氏の養子となり、5代将軍綱吉から8代 将軍吉宗に至る4代50余年間将軍家に仕え老中にまで出世し、上州沼田藩3万石 の大名となりました。 黒田氏歴世の墓は、能仁寺墓地にあります。 * (黒田直邦の墓) 道なりに登っていくと、 標識(←御嶽八幡神社・吾妻峡 ↓黒田直邦の墓・天覧山・飯能駅 多峯主山山頂→) 標識に従い右折。 * (多峯主山山頂→)・・・(多峯主山山頂手前) |
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看板(多峯主山と経塚)とベンチがあります。 山頂にある経塚は、石に経文を書いて土の中に埋めたつかで、岩石を釜底形に掘った穴 に約12,000個の河原石が埋蔵されており、明和2年(1765年)の年号が刻まれた石経供養 塔が建っています。 ● 多峯主山の由来などは、前項に記載してあります。 木々に遮られている方向もありますが、丹沢の山々・富士山・奥多摩・奥武蔵の山々の先に日 光方面の山も見ることができます。 標識(御嶽八幡神社0.4km・吾妻峡1.8km→) (黒田直邦の墓0.2km・飯能駅4.8km→) * (多峯主山と経塚)・・・(標識)・・・(ベンチ) |
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(全景は、パノラマでご覧ください) |
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直接下り、雨乞池方面に行く道(往路)と合流し左折。 |
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分岐(←観光案内所・高麗駅方面 ↑天覧山 ↓多峯主山)通過。 * (左の道へ)・・・(天覧山方面へ直進) 分岐(←多峯主山1.3km ↑巾着田3.2km・宮沢湖4.0km 天覧山0.4km・能仁寺0.6km→)通過。 道から左に数メートル入ったところにお地蔵様があり、お参りして通過。 * (巾着田方面分岐)・・・(お地蔵様) 分岐(←高麗峠 ↑能仁寺 →天覧山山頂) ● 天覧山下の東屋から右の道を下ると、ここにつきます。 * (天覧山方面へ) 天覧山の山頂を巻いていきます。 * (天覧山中段手前) |
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10:58 |
飯能市民会館駐車場到着。 (画像をクリックすると、大きくなります) |