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<< 日下門−→殿鐘楼−→経蔵−→禅堂−→東司−→ −→管長晋山記念植樹−→六波羅門−→勅使門 >> ● 日下門から入ります。 * (境内から) ● 殿鐘楼(平安初期の西寺の遺物) 禅堂の北に建つ鐘楼で、漆喰壁に覆われた室町後期の建物です。 銅鐘(重要文化財)は平安初期を下らない鋳造とされ、もと西寺の遺物と伝わっています。 (現在は収蔵庫に収蔵) ● 経蔵 開山聖一国師(円爾)が宋から持ち帰った書跡や貴重な書物が所蔵されています。 * (禅堂脇・日下門方面)・・・(通天橋方面)・・・(六波羅門方面) ● 禅堂 (室町時代 貞和3年(1347) 重要文化財) 禅宗の叢林で重要な建物である禅堂である。 選佛場とも称し、坐禅を通じ自己究明と自己の心の佛を撰ぶ場所である。 僧侶になるための修行道場であり、修行僧である雲水が、座禅はもとより寝食を行う所であった。 昔は400名以上の僧が修行を行ったこともあった。 内陣の「選佛場」扁額は宋国径山万寿寺の無準師範(佛鑑禅師)の筆であり、無準師範の心が残っ ている。 無準師範は東福寺開祖聖一国師の師匠である。 入口の扁額「禅堂」は当山三百三世福島慶道管長の筆である。 禅堂の大きさは桁行七間梁間四間、一重もこし付切妻造、本瓦葺である。 我が国最大最古の道場である。 重要文化財指定 明治31年12月28日 ● 東司 (室町時代 重要文化財) 「東司(とうず)」とは便所の建物を云い、俗に百問便所(百雪隠/ひゃくせっちん)と称し、子供たちは 「100人便所」とも云っている。 禅堂の横に必ず「東司」が置かれる。 禅宗叢林の便所では日本最古最大で、現存する唯一の遺構である。 当時の排出物は貴重な堆肥肥料であり、京野菜には欠かせない存在となっていた。 京都の公家、武家、庶民の台所をおいしい野菜で潤した。 叢林としても現金収入の大きい糧となっていたと云われる。重要文化財指定 明治35年6月31日 ● 管長晋山記念植樹 ● 六波羅門 (重要文化財) 1221年(承久3年)の承久の乱後、朝廷の動きを監視するために六波羅探題に設置されたものが移 築されたと伝えられているそうです。 * (右画像/境内から) ● 勅使門 勅使参向の際に出入に使用した門。 * (境内から) * (左/六波羅門)・・・(右/勅使門) (画像をクリックすると、大きくなります) ● (入口へ) ● |