-----------(4分)----------(7分)----------(15分)------(3分) (山道などが変更されている場合もありますのでご注意ください) (画像をクリックすると、大きくなります) |
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「しろさかはし」を渡ると、津久井湖城山公園パークセンター・研修棟・トイレ棟があります。 津久井湖城山公園パークセンター 公園の管理や利用案内などの機能を備え、展示物・組紐体験・ ・工作体験コーナー・城山自然写真コーナー・ヨロイ試着可・・・ * (右画像/研修棟) * (パークセンター) |
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「馬場」と「御座敷跡」 この下は「馬場」と呼ばれる場所です。 馬場の下にある広くて平らなところは、「御屋敷跡」と言われ、津久井城主内藤氏が 住んでいたとされる場所です。 御屋敷跡の発掘調査では深さ2.5mの堀や堀立柱といって穴を掘って柱を立てた建 物がいくつが見つかっています。 また、江戸時代の陣屋に関係する建物もみつかっています。 現在はこのような遺構を壊さないように大切に保存して埋め戻してあります。 仏果山・高取山・南山は、よく見えます。 (全景は、パノラマでご覧ください) 三増峠の戦い ここから見える風景は「金原」と呼ばれる場所です。 左側にみえる山のあたりにあるのが「三増峠・みませとうげ」 永禄12年(1569)、武田信玄が小田原城を攻めた帰りに、追ってきた北条氏と、この近 くで戦いました。(三増峠の戦い) 津久井城は、その時の戦闘には加わりませんでした。 その時武田信玄が通ったとされる「信玄道」や、その時の伝説が残る場所が、津久井 地域には多く残されています。 |
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竪堀と切岸 ここには、「五」でもみた、たてに掘られた堀があります。 よくみると地面がへこんでいて、牢屋の沢に向って伸びているのがわかります。 発掘調査は行われていないので、どのような形状なのかわかりません。 そして牢屋の沢をはさんだ対岸にも平らになっている場所、崖のようになっている場 所(切岸)があります。 これらは自然の地形ではなく、津久井城でとても大規模な土木工事が行われていた なごりと考えられます。 * (竪堀と切岸) 橋の途中から右折し、山道に入っていきます。 (直進しても、すぐ合流) 標識(←城山山頂0.9km ↓馬場・御屋敷 根本口0.3km→) 根本口方面へ 左側にベンチがある休憩所の先で合流。 現在地の書かれた地図があり「展望デッキ」方面へ * (根本口方面へ)・・・(休憩所)・・・(直進の道と合流) |
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* (展望デッキ)・・・(三角形の城山) 相模川・八王子城 ここから見える津久井湖は、ダムが出来る前はなく、もともと相模川の流れでした。 川は、敵から防御になるとともに、船を使ってものを運ぶために重要でした。 津久井湖の対岸の山中には「峯の薬師」という、武相四大薬師のひとつに数えられ ているところがあります。 その「峯の薬師」の奥が「高尾山」になります。 その奥には同じ北条氏のお城である八王子城があります。 高尾山・八王子城は、山頂から見る事ができます。 |
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分岐(←バス停・北根小屋 城山山頂→) * (バス停・北根小屋方面)・・・(城山山頂方面) 国道413を左下に見ながら進み舗装道から山道に。 分岐(女坂)通過。 * (現在地)・・・(直進)・・・(女坂) 標識(←花の苑地0.3km ↑城山山頂1.3km 小網口0.5km↓) (往路は、城山山頂方面に登っていきました) 花の苑地方面に下っていきます。 * (往路は城山山頂方面へ向いました)・・・(花の苑地方面へ) |
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* (東屋)・・・(バス停方面へ)・・・(振り返ると) 花の苑駐車場前のバス停(津久井湖展望台)に到着。 (画像をクリックすると、大きくなります) |