鷹射場からのパノラマ |
東屋そばの展望台からのパノラマ |
飯縄神社〜城山〜パークセンター パークセンター〜展望広場〜駐車場 |
● 津久井城の歴史 ● 津久井城の位置 津久井城は地理的には、北方に武蔵国、西方に甲斐国に接する相模国の西北部に位置してい ます。 八王子から厚木・伊勢原、古代東海道を結ぶ八王子道と、江戸方向から多摩丘陵を通り、津久 井地域を東西に横断し甲州街道に達する津久井往還に近く、古来重要な水運のルートであった 相模川が眼前を流れていることなどから、交通の要衝の地でもありました。 津久井地域は、その豊かな山林資源から、経済的に重要な地域としても認識されていました。 このように津久井地域は、中世の早い時期から政治・経済・軍事上の要衝であり利害の対立す る勢力のせめぎ合いの場でもありました。 いつごろ誰がつくったのか? 津久井城の築城は、鎌倉時代三浦半島一帯に勢力を誇っていた三浦氏の一族、津久井氏によ ると伝えられています。 戦国時代、小田原城を本城とした北条氏は16世紀中頃までは相模・武蔵を領国とする戦国大名 に発展しました。 この広大な領土を経営し、敵勢力から守るため本城の下に支城を設け、支城領を単位とする支 配体制を作りました。 当時の津久井地域は、甲斐国境に近く領国経営上重視されており津久井城(城主内藤氏)は有 力支城のひとつとして重要な役割を果たしていました。 現在残っている遺構は16世紀に北条氏が整備したものです。 津久井城が滅びたのは? 天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原攻めの際、北条方の関東の諸城も前後して落城しました 津久井城は徳川勢の本田忠勝、平岩親吉ら12,000人の軍勢に攻められ、6月25日に開城しま した。 城の南に広がる金原地区には、前陣場、奥陣場、勝どき畑、首塚など戦いに関連すると考えら れる地名が残されています。 * (花の苑地駐車場から)・・・(展望デッキから) * (展望広場から) * (展望広場から) * (展望デッキから) (県立津久井湖城山公園のHPを参考にしました) (山道などが変更されている場合もありますのでご注意ください) ● アクセス 車の場合 行きかたは沢山あります。 横浜方面から来た場合 国道16号橋本駅南口交差点をすぎ、国道413号を津久井方面へ約30分 駐車場(無料) 水の苑地:62台 花の苑地:94台 根小屋地区:37台 駐車場利用時間 8:00〜19:00(閉門) 電車の場合 橋本駅から神奈中バス(橋本駅北口から三ヶ木行きバス・1番のりば)を利用。 新宿から・・京王線で橋本駅へ(約40分) 横浜から・・JR横浜線で橋本駅へ(約1時間) 町田から・・JR横浜線で橋本駅へ(約20分) バス停 水の苑地・・「城山高校前」下車徒歩3分 花の苑地・・「津久井湖観光センター前」下車徒歩1分 根小屋地区(パークセンター) ・・・「クラブ前」下車徒歩20分 (画像をクリックすると、大きくなります) ● (ホームへ) ● |