津久井城山 ( つくいしろやま 375M  神奈川県相模原市 )
城山頂上からのパノラマ
鷹射場からのパノラマ
展望広場からのパノラマ
東屋そばの展望台からのパノラマ
花の苑駐車場〜飯縄神社
飯縄神社〜城山〜パークセンター
パークセンター〜展望広場〜駐車場

 ● 津久井城の歴史 ●
      津久井城の位置
         津久井城は地理的には、北方に武蔵国、西方に甲斐国に接する相模国の西北部に位置してい
         ます。
         八王子から厚木・伊勢原、古代東海道を結ぶ八王子道と、江戸方向から多摩丘陵を通り、津久
         井地域を東西に横断し甲州街道に達する津久井往還に近く、古来重要な水運のルートであった
         相模川が眼前を流れていることなどから、交通の要衝の地でもありました。
         津久井地域は、その豊かな山林資源から、経済的に重要な地域としても認識されていました。
         このように津久井地域は、中世の早い時期から政治・経済・軍事上の要衝であり利害の対立す
         る勢力のせめぎ合いの場でもありました。
     いつごろ誰がつくったのか?
         津久井城の築城は、鎌倉時代三浦半島一帯に勢力を誇っていた三浦氏の一族、津久井氏によ
         ると伝えられています。
         戦国時代、小田原城を本城とした北条氏は16世紀中頃までは相模・武蔵を領国とする戦国大名
         に発展しました。
         この広大な領土を経営し、敵勢力から守るため本城の下に支城を設け、支城領を単位とする支
         配体制を作りました。
         当時の津久井地域は、甲斐国境に近く領国経営上重視されており津久井城(城主内藤氏)は有
         力支城のひとつとして重要な役割を果たしていました。
         現在残っている遺構は16世紀に北条氏が整備したものです。
     津久井城が滅びたのは?
         天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原攻めの際、北条方の関東の諸城も前後して落城しました
         津久井城は徳川勢の本田忠勝、平岩親吉ら12,000人の軍勢に攻められ、6月25日に開城しま
         した。
         城の南に広がる金原地区には、前陣場、奥陣場、勝どき畑、首塚など戦いに関連すると考えら
         れる地名が残されています。

                  


    * (花の苑地駐車場から)・・・(展望デッキから)

            


    * (展望広場から)

 


    * (展望広場から)

       


    * (展望デッキから)

      



                          


                    (県立津久井湖城山公園のHPを参考にしました)

                (山道などが変更されている場合もありますのでご注意ください)

      ● アクセス
          車の場合
            行きかたは沢山あります。
            横浜方面から来た場合
               国道16号橋本駅南口交差点をすぎ、国道413号を津久井方面へ約30分
          駐車場(無料)
            水の苑地:62台 花の苑地:94台 根小屋地区:37台
            駐車場利用時間 8:00〜19:00(閉門)

          電車の場合
            橋本駅から神奈中バス(橋本駅北口から三ヶ木行きバス・1番のりば)を利用。
               新宿から・・京王線で橋本駅へ(約40分)
               横浜から・・JR横浜線で橋本駅へ(約1時間)
               町田から・・JR横浜線で橋本駅へ(約20分)
            バス停
               水の苑地・・「城山高校前」下車徒歩3分
               花の苑地・・「津久井湖観光センター前」下車徒歩1分
               根小屋地区(パークセンター) ・・・「クラブ前」下車徒歩20分


                      (画像をクリックすると、大きくなります)


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